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おもちゃのシェアは当たり前?オランダの公園事情

娘を近所の公園の砂場デビューさせてから半年程が経った。週末や保育園が休みの日はもちろん、保育園の後も公園で遊ばせているのでおそらくかなりのヘビーユーザーだ。週末には、少し遠出して大きな公園への遠征もする。

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(*公園大好き)

そんな私が今日はオランダの公園について少し書いてみようと思うので、お付き合い頂ければ。

気を使うって何?

「人に迷惑をかけてはいけません」

日本では、これを子供の時から教えられる。この考えは大人になっても染み付いていて、ことあるごとに私たちは人に迷惑をかけない最良な選択をする。横断歩道で車が止まってくれたら、つい急ぎ足で渡ってしまう。エスカレーターでは、絶対に片方を開ける(*ちなみにこれはエスカレーターの正しい乗り方的にはNG。)そういうところだ。

オランダにいると、こういう感覚が300%ズレていることがわかる。後ろに長い列ができてようがレジの店員さんとお喋りしたい人はするし、なんならレジの店員さん同士でおしゃべりしてるし(私はじっと待つ)、道路では後ろが渋滞するのもお構いなしに自転車二台で並走する人たちも多い。郵便だって荷物を受け取れなかったら勝手に隣の家に預けられてしまうのだ。仕方なしに隣の家のベルをピンポーンとする。すみません〜と言いながら。(ちなみに私は無意識に「すみません〜」と言うが、オランダ人の隣人が荷物を受け取りに来るときは「私の荷物があるはずだけど?」という感じで特に申し訳なさはない。)

オランダでは、人に迷惑をかけることが悪いという認識がない。たぶん。というより「迷惑をかける」という概念がどうしても日本的なのかもしれない。レジで世間話するのも、自転車で並走するのも、荷物を隣人に預かってもらうのも当たり前ことなのだ。

そんなわけで話は戻って、公園の話。

すべり台に自分の子供が登ったとしよう。さあ降りようという時になって、なぜか全然降りてこない。そこに居たい気分なのか、怖くて降りられないのか、とにかく降りないのだ。後ろには他の子供たちが何人も待っている。日本人なら焦るところだ。

オランダの親たちはどうするのか。

そう。

何もしない。

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いや、正確には「おいで!(コム!)」とか言ったりするが、手を出すことは殆どない。無理矢理降ろすなんて、とんでもない。日本の親たちがどうするのかは正直(実体験ないので)分からないが、私は最初「ああ、他の子供たちが困っちゃう...どうしよう。笑」なんて思って焦ったことがあるので、無理矢理降ろす親もいるのではないだろうか。

前回の寝かしつけの記事でも書いたが、オランダでは小さな子供でも独立した一人の人間として接する。それゆえ、子供のやりたいことや子供のリズムをとても大切にしている印象だ。自分の子供でも、というより、自分の子供だからこそきちんと尊重するのだ。

個人的に、この意識はとても素敵だと思う。

自分の子供が一番大切な筈なのに、ついつい他の子供に気をつかって自分の子供のやりたいことを無理矢理止めてしまう、よく考えれば変な話だ。

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うちの娘は、滑り台が大好きだ。最近一歩一歩時間をかけながら、ようやくすべり台に一人で登れるようになった。とても誇らしい。どれだけな娘が登るのに時間をかけようと、てっぺんが楽しくて中々動かなろうと、私は彼女のしたいことを全力で尊重しようと思う。周りのお母さんお父さんも、全員同じ気持ちだからありがたい。誰も文句を言わないし、文句が顔に書いてないし(*重要)、むしろ「待つ」ことを学ぶ我が子を誇らしげに見ている


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おかげで、反対に順番を待つ方になっても、その分じっと待てるのだ。だってそれが当たり前だから。

そう、お互いに迷惑をかけることを学びあうのだ。

素敵じゃないか。

*ただ、登って来る子を娘が上から妨害しようとしていたらそれは危険だから止める。

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君のものは僕のもの、僕のものは君のもの


砂場デビューして少し経った頃、娘のためにお決まりの砂場グッズを買った。オランダらしく、ミッフィーの柄のやつだ。

娘はすぐ興味が移るので、砂場で座って遊んでいてもすぐ次の場所へ移動する。もちろん私も一緒に付いていく。とことこ... スタスタ.... 砂場グッツは置きっぱなしだ。

しばらくして、さっきまで自分たちが遊んでいた場所を見てみると、他の子供がミッフィーのバケツとスコップで遊んでいた。

ん?

この ’娘のおもちゃが勝手に使われている’ という事態、これが初めてだった。多分モヤッとしたと思う。その子の隣にお母さんがいたことも、モヤっと感を増幅させた。

娘と一緒にその親子へ近づく。

「ハロー」

『ハーイ。このおもちゃ、彼女の?』

「そうだよ。」

『遊んでもいい?』

「もちろん、全然!」

自分でも意識しないで「もちろん」が出てた。「遊んでもいい?」って言われた時点で、大丈夫だよって言っちゃうよね。そりゃそうだ。

それから何度も足を運ぶうちに、私は確信した。

放置してあるおもちゃは、誰が使ってもいい。

こういうルールが、この公園には適応されている。

子供はもちろん、親も当たり前にそれに従っているのだ。

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私自身モヤっとしたのは本当にこの最初だけで、それ以降は常に娘のおもちゃを誰かが使っているのを見るのが当たり前になった。というのも、知らない子が娘のおもちゃで楽しそうに遊んでいる様子を見るのは何だか嬉しいし、何が有難いかって、娘も同じように知らない子のおもちゃで自由に遊ばせてもらえるということだ。まさに先述した「お互いに迷惑をかけ合う」だ。(ただ、何度も言うように、迷惑という概念はおそらくない。)

ついでにうちの娘は好奇心の塊でジャイアンなところがあるので、見知らぬ子が遊んでいるスコップさえも平気で取り上げようとする。そもそも一歳ちょっとなので、自分のもの・他人のものの概念がない。私は流石に「ちょ、それはダメやで...」と止めようとするのだが、その子の親からは「あー大丈夫だよ。」と言われることが多い。え、それすら許されるの?神なの?

だが、これは優しさだけではなく、それ以上に大事なある概念から来ていると分かった。

魔法の言葉 Samen Spelen 

自分のスコップを知らないヤツ(=うちの娘)に奪われた哀れな子供に、親が優しくささやく。

「Samen Spelen (一緒に遊んで。)」

そう、魔法の言葉だ。

オランダの公園にいると嫌でも覚えてしまうくらい、このオランダ語「Samen Spelen(”一緒に” + ”遊ぶ”)」はしょっちゅう聞く。私もそれくらいしか喋れないので、よく言う。サーメンスペーレン。サーメンスペーレン。

“自分のおもちゃが奪われた!” と子供が思ったとしても、親がすかさずフォローする。

「あなたはおもちゃをその子とシェアしてるんだよ。」

「一緒に遊んでね。」

なんとポジティブで、逆転の発想なのか。

自分の子供が見知らぬ子供に【おもちゃを奪われた】から【おもちゃをシェアしている】に変わるだけで、嫌な気持ちが一気に誇らしい気持ちになるではないか。

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もちろん、ここに出てくる登場人物たちは大体が1~2歳なので、まだまだ他人と分かち合う感覚は分からないだろう。しかしそういう感覚を小さいうちから身につかせようと、どの親もしっかり意識しているのが感じられる。

先週末も、娘を公園に連れていった夫が同じような体験をした。うちの娘がその辺にあった三輪車に乗って楽しそうに遊んでいたら、その持ち主である子が「アーー!!(それ私のー!!)」と言って飛んできた。そりゃそうだ。しかし例によってその子のお母さんは、うちの夫に「大丈夫よ、使ってやって」と優しく言い、ついでにこう言った。

「She needs to learn. (彼女は、学ばなきゃいけないから。)」

さっきのSamen Spelenと並んで、同じくらい言われるのがこれだ。

何を学ぶのか?

そう、シェアすることだ。

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(*別の日。娘は基本、人の乗り物に手を出す。)

お母さんは不満でいっぱいの子供に辛抱強く伝える。

「彼女乗りたいんだって。」

「少し貸してあげよう?」

彼女が手に持つ、うちの娘のおもちゃを指さして言う。

「ほら、あなたもおもちゃ借りてるんだよ?シェアしようね。」

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(*とてつもない不満顔...)

オランダの公園で、当たり前のようにおもちゃが使い/使われる理由はきっとここにある。みんなでシェアして、みんなで学んで、みんなでハッピーなのだ。おもちゃを理不尽に取られた子供は必ずしもハッピーではないかもしれないが、不思議と泣きわめく子供はいない。

ちなみにこの写真のお母さんは、ウクライナ人で、もともとロンドンに住んでいたそうだ。ロンドンを出るときは「ロンドンには何でもあるのに、オランダに住むなんて。」と思っていたらしいが、実際住んでみたら「もう最高!何より子供がとても幸せそうだし。」と言っていた。実際、公園で出会う親たちは移民の人の方が多い。それでも皆オランダ式のやり方に沿っているのだ。きっとそれは、私同様、心地いいからだと思っている。

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他人に迷惑をかけない日本?

では、日本ではどうなのだろうか。

私は日本での育児の経験がないので、以下のページを参考にしてみた。

ここを読むと色々な意見があることが分かる。一緒に遊んだ方が楽しいから、とおもちゃの貸し借りを当たり前にやる人たちもいる中で、真っ先に飛び込んできたのはこういう意見だ。

『(中略)「一緒にあーそーぼ」って声をかけられた。(中略)お母さんも後ろに立ってその子が声をかけるのを促していた。でも、これがもしおもちゃなしで遊んでいたら同じように声をかけてきたのかな?人の物なのに貸してとか少し使わせてとかでもなく、「一緒に」遊ぼう?公園の遊具ならもちろんそれでいいのだろうけれど。おもちゃ目当てのような気がしてとても嫌な気持ちになった。』
『他の子どものものは借りない。お友達のだから触らないよって言う。』

色々な意見があると思う。価値観はみんな違うし、それは当たり前だ。

私は日本で生まれ育った根っからの日本人なので、「人のものなのに...」「人のものだから」という感覚は嫌というほど分かる。刷り込まれている。それと同時に、オランダの文化にどっぷりと浸かり、今や何の戸惑いもなく落ちているおもちゃで娘と遊ぶのが普通にもなった。

そんな今の私があえて言うなれば、トラブル回避のために、他人のおもちゃに子供を近づけさせないのは何だか悲しい。というのもそれは多くの場合、子供ではなく親の都合だと私は思うからだ。

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他人の子のおもちゃを壊してしまって弁償する羽目になり、居心地の悪い目にあう... できれば避けたい出来事だが、それで自分の子供は一つ学ぶのだ。「何だか乱暴にやったらおもちゃが変なことになって親が困っている。今度は優しくしよう」と。謝れる歳なら、謝ることを教えるいい機会にもなる。自分の子供のおもちゃが壊された場合も、許すことを教えればいい。「お友達は、わざとやったわけじゃないんだよ。許してあげよう?うん、えらいね。帰ったら一緒に直そうね。」そんな感じは、どうだろうか。一緒に直したら、それはそれで大事な思い出にならないだろうか。

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最後に

今回触れた「自分の子供を尊重する」「おもちゃをシェアする」という二つの概念は、公園で出会った移民の親たちと話している限りオランダ的ものなんだと思う。

もちろん、場に応じて臨機応変な対応も必要だ。自分の子供が滑り台のてっぺんで10分以上も動かなければ「みんな待ってるから、一度すべろうね」と諭すと思う。5分でも諭すかもしれない。3分なら、多分待つ。要は、迷惑になるか否かを真っ先に考えるのではなく、できるだけ子供の意思を尊重するように努めるのだ。気長にいこうよ、ということだ。みんな一緒に。

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そしておもちゃのシェアにも、実際は大変なことも多い。毎回家に帰るタイミングで、四方八方に散らばった娘のおもちゃ16点(細かいのが多い)の大捜索をしなければいけない。あ、ここにひとつ。あ、あの埋まってるのもそうかな...?探してると他の親が「どんなの?」「これ?」と言ってくれたり、取りに行ったら「(貸してくれてて)ありがとう^^」と言ってくれたりする。

たまにその一言もなく、あの〜これ持っていっていい?と聞いたら「ああ、どうぞ」とだけいう親や、「こっから探して〜」とだけ言う親もいる。その時ばかりは、結構モヤっとする。

貸し借りが当たり前のオランダの公園であっても、大概の親は「使ってても大丈夫?」「ごめんね」「ありがとう」という言葉をちゃんと伝え合うやはり、同じことをしていても、「ありがとう」「こちらこそ」が言えるのが大前提だ。

もちろん、毎回5~10人くらいの子供にシェアされていたら、おもちゃはいずれ紛失する。すでにミッフィーセットは消え失せた。先週は買ったばかりのスクーターが消え失り、「盗まれた!」と焦ったが、実は普通に子供が超スピードで遠くに乗り捨ててただけだった。基本おもちゃは返ってくる前提ではあるが、ヒヤヒヤすることもある。

そのリスクを背負いつつも、やはり私はこのおもちゃシェア文化が好きなのだ。子供が毎日毎日自分のおもちゃでしか遊べないとしたら、それはすごく勿体無くない。全員のおもちゃを全員でシェアした方が楽しいし、きっと子供にしか分からない発見もあるはずだ。

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(*娘のおもちゃで遊ぶ子達)

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(*人のおもちゃで遊ぶ娘)

すべての子どもを尊重する。

こんな、オランダ的公園体験はどうだろうか?


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