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独立して2年間を振り返ってみる

産休・育休を含めて約10年リクルート(リクルートジョブズ→キャリア)で働き、退職後青森にてフリーランスとなってちょうど丸2年を迎える。

外に出て、初めて会社の看板を下ろし、名刺を捨てて、身一つで仕事を始めた2年前。正直、何者でもない自分が何が出来るのか、出来ないのか、全く分からなかった。でも、何とかなるだろうとそんな気持ちだけは確かだった。

自分に何が出来て、どんなタグが付けられるかということは、会社や組織の外に出てみて初めて理解できる。今日はふと、この2年間の気づきをまとめてみようと思う。

「リクルート出身で採用が分かる」というシンプルなタグ
最初に肩書きを付けるときに、ひとまず「採用・人事コンサルタント」と名乗ってみた。そうすると「リクルート出身=採用が分かる人」ということがとてもシンプルに伝わったようで、自己紹介がすんなり行けた。そのあとも関わるお客様とは主に「採用を中心とする人に関する話」で会話が進む。会話の中で、先方が何に困っているのか、それに対する打ち手はどんなところが考え得るのか、ということにはピンポン玉を打ち返すように、考えなくても答えが出てくる自分がいた。そしてシンプルに、それが喜ばれたような手応えもあった。その分かりやすさも相まって、1年目の終わり位には、紹介を頂きながら仕事が少しずつ広がっていったような感覚を覚えている。

コンサルタントでなく、社外人事と名乗るに落ち着く
風呂敷を広げてみて自分の領域を「採用(人事)」くらいに位置付けて過ごしてきたが、現時点の名刺には「社外人事/採用コンサルタント」と名している。人事コンサルと名乗るのにしっくりこなかったのと、やっぱり採用が好きだし面白いと感じているから、まず人事を消した。加えて、「コンサルタント」という肩書きにも正直しっくりきていなくて、自分を説明するときには主に「社外人事」という言葉を使っている。「半分社内、半分社外の立場で関わります」と説明しているのだが、私の仕事はただアドバイスをすることでは終わらない。自分が手を動かして求人広告も書くし、応募者対応もするし、面接も社長と一緒に行う。社長や社内の採用担当者と一緒に、悩むこと、一緒に答えを出すこと、そこに自分の介在価値があるのではと考えている。

1件の応募で1名の採用を成功させられるかの戦い
リクルートの10年間の、7割以上が営業現場で働いてきた。残り3割は企画やプロジェクト運営だった。営業として、軽く1000社を超える地方中小企業様の採用課題をヒヤリングしてきた。そして、どうすれば他社よりも選ばれる広告を作成できるかに頭をひねり、どうすれば1件の応募が来るのかを考え続けた。それは営業として、求人広告費にお金をお支払い頂いているのに「1件も応募が来なかった」「応募は来たけれど採用は出来なかった」という声を聴くのが怖かったからだ。2009年に入社してから、ほとんどの時期が採用難で、1件の応募で1名の採用を完了させる、そんな戦いだったように思う。来すぎて選ぶのに困るという声は滅多にない、そんな時代を過ごしたし今も多くの会社はそうだと思う。

採用難時代に、求人広告と向き合った経験
掲載単価の比較的低い求人広告の営業をしていたため、営業マンとして業績を残すためには、「質<量」の営業活動(電話、飛び込み)を日々繰り返し、「時間<濃度」のアポイントをこなし続ける必要がある。1日100件近い電話掛けをし、1回1時間のアポイントで顧客の課題ヒヤリング~提案~クロージングまでを行うことが求められた。これを何年も続け、自分自身が行動することだけでなく、担当するチームのメンバーにも同じように行動してもらうために頭と心を悩ませ続ける日々を過ごした。

この、行動量をとにかくやり切るという期間で身についたのは「仮説を立てる」というスキル。たくさんのお客様に触れることで、同業の中でのA社とB社の違いや、同じ職種(例えば営業)として働く上でのC社とD社の違いといったものが分かるようになった。その差分から、その会社における「らしさ」や「強み」あるいは「弱み」がどこにあるのか?という仮説や、採用関連でこういうことに困っているだろうなという仮説を立てる筋肉がついた。これは今でも経営者の方・採用担当者との会話の中で仮説をぶつけ、理解を深めるというコミュニケーションは信頼関係を深めるのにとても役になっている。

意義を語り、共感して頂く営業スタイル
量をやるというのは、本当に大変なことだった。しかし、数えきれないほどのお客様と会い、もしくは電話越しにでも、採用に関する悩みを聞き続けたことで、自分の中にナレッジがたくさんたまった。お客様の悩みや課題と出会うたびに、自分の中での引き出しが増え続けたような時間だった。そして、1回のアポイントで深い話をするためには、まず自らを開示して、心をOPENにして、安心して話してもらい、信頼して頂けるような関係性をなるべく短時間で築く必要があるのだが、これが今に非常に役に立っているように思う。一時上司に「心のパンツを脱げ」と言われ、(今の時代は間違いなくセクハラだ!とか言われるやつだと思うけど)その言葉通り、初対面のお客様から自分をさらけ出し、なぜここの地域で営業をしているのか、求人広告をこの地域で広げることで作りたい世界はどうなのか?という大義を語る営業をし続けてきた。そこに共感頂いた時に都度心を震わせながら営業をしてきた。私にとってそれが営業の醍醐味だった。

自分がその会社のことを1番好きになり、そしてどこが好きなのかを、求人広告に書いて伝え、そこに共感してもらい応募が来る。そんな流れを作りたいともがき続けた。そのためには好きなところだけでなく、「覚悟してほしいこと」「理解してほしいこと」も併せて書いた。そうやって正直に伝えることで、応募が来るだけでなく、その会社で働きたいと思う人からの応募を募り、そしてそのあとで定着→活躍してもらう世界を目指した。

お客様のことを知っているようで、全然知っていなかったという気づき
社外人事として、一定期間(半年~1年程度)を業務委託契約を結んでいただき1社のお客様に深くコミットしてきた。社数はこの2年間で5、6社になる。

リクルート時代は自分の担当企業数は常時100社を超えていた。前述した通り、質<量の行動量を担保し続けるため、1社のお客様に深くかかわるということが物理的にも出来なかった。もちろん、中には毎週求人掲載を頂くような規模の企業さまもあったので、そういった担当企業については「それなりに私は分かっている・理解している」と心のどこかで思っていた。

社外人事として個別契約を結び、社員のみなさんと面談するようなところからスタートする関わりを持つと、その会社さんに対して色々な方向から理解を深めることができた。「社員の声」「社長の話」「社長の奥様の話」「社長のお母さまの話」「今期のマーケット状況や売り上げ予測」「業界の今後」等、色々な情報を見聞きするようになる。そんな関わりをしていくと、「いかに過去の私は、担当企業様のことを理解できていなかったのか」ということに愕然とした。

私が「知っている」と思っていたことはほんの数%のことだったに過ぎないのだと思わされた。それほど会社における「人」に関する課題は複雑で、もちろん経営課題とも結びついているし、単純に「採用する」ことだけで解決できるようなことはほんの少ししかないのだと思い知らされた。その結果、私は自然と関わる企業さんの採用についての緊急な課題をクリアにしながら、徐々に自分が出来る領域を広げるに至っている。例を挙げると、先週は社外人事として関わっている会社で作っている野菜を地域の飲食店に飛び込み営業するというようなこともやった(!)。これはとても楽しい経験だった。

まず、YESを出すスタンス
営業として関わるお相手は中小企業の経営者や人事担当者の方。中小企業の場合人事といっても経営に近い立場の方が多い。そんな方々との数えきれない量のコミュニケーションを経て、もともと神経が図太い方だったが、より図太くなったように思う。営業として自分を売るということだけでなく、経営者の方から会社のビジョンをお聞きし、その未来像を一緒に描き、採用を通じて応援するというのが私の役割だけれど、そういった対話を通じて「胆力」みたいなものが養われたように思う。ちょっとやそっとのことでは、動じなくなったように思う。

フリーランスになると、頂く仕事の依頼の中で「やったことのないこと」に遭遇することも多々ある。「こういう仕事なんですが出来ますか?」「こういうこと、やったことありますか?」そんな形で依頼を頂くのだが、私は仮にやったことのない仕事でも「はいやります」とほぼ受けてきた。例えば、「大学生150人に就活準備の授業をする(コンテンツも1から考える)」「企業の座談会の司会進行をする」「オンラインで採用のセミナーをする」「移住×創業をテーマにイベントを企画する」・・・等。そういった依頼を受けた時に、「やったことないけれど、やればできそう」とイメージが少しでも湧くものに関しては全部受けてきた。仕事を断ったことは今のところ無いと思っている。

やったことあるか、ないか、よりは「やりたいと思うか」「できるイメージが湧くか」の方が大事で、その仕事を通じて自分の領域もまた広がっていく。やったことのないことや知見の無いことは、人に聞いて助けてもらえばよい。大事なのは「YES」と言うことだ。それはハッタリをかますということではなくて、頂いた信頼を繋ぐこと。投げられた球を受け取る事。球は他の誰でもなく、私に投げられているのだから。

こういうスタンスで仕事が出来ているのは、元からの自分の価値観や性質にも紐づくところではあると思うけれど、リクルートにいたからということも影響しているように思う。「自ら機会を作り、その機会によって自らを変えよ」創業者江副さんの言葉は、大好きな言葉だ。「仕事の報酬は仕事だ」誰が言ったかは分からないけれど、在籍中よく聞いたことばだ。そんな文化の中で社会人生活の基礎を作った。

振り返るともっとありそうな気もするけれど、一旦この辺りで終えてみようと思う。閉じつつある6月が終わると、独立してから3年目が始まる。どこかのタイミングで3年目に向けての想いも残しておこうかな。

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