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続きは歓声の後で #4 反対側の景色 後編

こちらのお話の続きです。

「おっはよーございます!」

月曜の朝、いつもの元気なあいつの声にほっとする。
朝礼で内示が出る。前に出て一言、と言われると、あたらしーところでも精一杯頑張ります!とフロアいっぱいに通る声で挨拶する。俺に対してもいつも通りで接してくれている。女性は、本当にタフだ。
異動に伴う具体的な動きが始まり、通常業務にプラスアルファの会議や打ち合わせが入ってくる。それに加えて金曜にはライブだ。今週は少しバタバタしそうだな、と朝から栄養ドリンクを煽って気合いを入れた。

これまでほぼ毎日、数時間は一緒に動いていたけれど、あいつは新しいチームへの挨拶や引き続き、俺はあいつが抜けた後のチーム内の調整や外部とのやり取りで面白いくらいに顔を合わせなくなった。
新しい動きに格好つけて、平日にも関わらず、夜の打ち合わせも多かった今週。誤魔化し誤魔化し走り抜け、気力も体力も尽きた金曜日の昼過ぎ。デスクで帰る準備をしていると、久しぶりの声が振ってくる。

「あれえ〜?かかりちょー、今日半休ですか?めずらしー」

外回りから帰ってきたあいつは、あっつーと汗を拭きながら鞄を下ろす。

「え、って、あれ?今日ライブの日じゃないですか?結局行くんですか〜?」
「いや、明日大阪で弟の結婚式だから、その準備」

考えてあった言い訳を、なるべく普通のトーンで話す。日程的にはタイトだが、丁度いい日取りだったな、と思う。部下達に見送られて家路についた。

平日の昼過ぎ、まだ社会が機能している中、オフ状態でいるのはいつぶりだろうか。まだ高い陽射しを浴びるビル街、道行く人はスーツ姿が多くを占める。俺もその中のひとりなのに、もう働いていないということに、少しそわそわしながら電車に揺られる。
地元駅に着く。いつも朝早くか暗くなってからしか降り立たないそこは、子どもを乗せて自転車で走っている人がいたり、ランドセルを背負った子ども達やトボトボとカートを引いて歩くじぃちゃんばぁちゃんがいて、同じ街に住んでいても、時間帯によって表情がガラリと変わるもんだな、と思った。陽光で眩しいくらいの街並みに、この街の日常に初めて触れたような、不思議な感覚があった。

シャワーを浴びて汗を流し、ラフな格好に着替える。ズボンはジーパンがいいか、チノパンがいいか、それともスラックス?迷うほどでもないことなのに、普段着で出掛けることが少ないから、鏡の前であれこれ試している自分がおかしかった。なんだ、結構楽しみにしてたんだな、俺。

結局、ジーパンにライブTシャツ、必要最低限の持ち物が入るショルダーをかけて出掛けた。もう日は傾き始めていて、さっきよりも幾分、涼しい。ライブTシャツを着て出掛けるのを、ちょっと気恥ずかしく思いながら電車に乗り込む。会場駅が近づくにつれ、同じような格好の人が増えていき、縮こまっていた身体も心も緩んでいく。水道橋で降りたのは、ほとんどがライブ会場に向かう人達だった。

入り口前にフォトスポットがあって、若者が写真を撮りあっている。そう言えば、彼女ともあんな風に写真を撮ったな、と思い出す。
会ったりするんだろうか。いや、仮に来ていたとしても、これだけ大勢の中で会える確率なんて相当低い。それに彼女は誰かと来ているかもしれないし、出くわして惨めな思いをするのは、嫌だなあ。
キャアキャアと、はしゃぎながら俺の隣を若いグループが通り抜ける。自分とのギャップに、少し居た堪れなくなる。来なきゃよかったかな、そう思った瞬間、会場内からドラムの音が小さく聴こえた。最後の確認なのだろうか、ドンドン、ドドンッと何度か同じリズムを繰り返して消える。その音に心が弾む自分を感じた。
うん、せっかくきたんだし、単純に音楽を楽しめばいい、周りなんて気にしなくていい、自分を鼓舞して会場に向かった。

既に開場から30分くらい経っていたから、観客の半数以上は入っている感じだった。ザワザワする会場で指定されたブロックに向かう。
思った以上にステージが近い。また少し、気持ちが上がる自分を感じた。
俺の中にもまだ、こういう感覚があったんだなあ、なんてちょっと感動する。非日常の中にいるせいか、いつもより少しセンチメンタルだ。

開演まで、まだ暫く時間があって、手持ち無沙汰にスマホを開く。仕事のメールを確認して、必要なものには返信を、来週以降のスケジュールを見て、とソワソワしているのに、誰に対してでもなく、いつもを装う自分がおかしかった。
一区切りついて、周りを見渡す。
入り口付近では若いカップルやグループが目についたけど、落ち着いて観察すると、自分と同年代やそれより上に見える人たちもいて、ファン層の幅広さを感じた。
昔からずっと追っている人も、最近聴き始めた人も、どちらにでも響く唄を作ることができる、彼らのファンでいることを、何だかちょっと、誇らしく思った。

人間観察をしていると、彼女と同じ歳くらい、同じ背格好の女性を見かけた。俺と同じブロックの後方で、同じように周りを見渡し、キョロキョロしている。連れ待ちなのかな?とぼんやり見ていると目が合った。

「え」

あっちも同じような顔をしてパッと目を逸らす。釣られて俺もスマホに視線を落とす。彼女…だよな。そんな奇跡的なことある?とまたちょっと感動しつつ横目で彼女を見ると、さりげなく距離を取るように反対側へと消えていった。すっと体温が下がるのがわかった。

そうだよな、と苦笑する。あんな別れ方しておいて、今更普通に会えるとか、頭お花畑か俺は。
高い天井を仰いで、ふう、と一息つく。
気持ちを切り替えるように再びスマホに向かう。内容が全然入ってこないメールを眺めていると、斜め前にいる女性たちの会話が耳に入ってきた。

「えー、あれヤバくない?」
「あのおっさん、さっきも違う女の人に声掛けてたよ」
「えー、きもー」

その視線の先に目をやると、彼女が少し年上の男性に声を掛けられている。不快な気持ちがグッと頭をもたげるが、理性が身体を抑えた。止めた方がいいだろうか。でも、連れの人が来るかもしれないし、彼女だって大人だし、と心の中で言い訳をしながらも、チラチラと横目で伺う。グイグイくる男に彼女が後ずさる。男の手が伸びる。反射的に身体が動いていた。

「俺の連れに何か用ですか?」

いや、連れじゃないけど、何言ってんの俺、と心の中で自分に突っ込みながら、男を威圧する。男はヘラヘラと笑いながら人混みに消えていった。

「久しぶり」
「…久しぶり」

驚いて声が出ない様子の彼女に、こちらから声を掛けるも、緊張してうまく声が出ない。勢いで割り込んでしまったけれど、この後、どうしたらいいんだ?

「あ、ありがとう…」

戸惑いを纏った声で彼女が続ける。

「どういたしまして」

ぶっきらぼうに答える、俺。
いや、会話続けよう、俺!

「迷惑だった?」
「え?」
「いや、あいつと見たかったかなって」

いや、何その会話!嫌味にしか聞こえないじゃん!普段の営業トークはどうした!もっと気の利いた会話しろよ!と心の中で盛大に突っ込む。

「いや、それは全くない!ほんとに助かった!」

全力に、まっすぐに否定してくる彼女は、俺の言葉に嫌味なんてこれっぽっちも感じていなようで安心する。

「連れは?いないの?」
「あ、うん、ひとりで…そっちは?」
「俺も、ひとり」

ひとり、の言葉にどこかほっとする自分がいた。普段の癖で、さりげなく左手の薬指をチェックしてしまう。何もついていないことにホッとして、アホか、と思う。今更元カノの動向を知ってどうする。
彼女の横顔を見る。昔より少しシュッとしたかな、綺麗に、なったな。
ブブッとスマホがメールの着信を告げる。反射的に確認する。急ぎではない仕事の案件だった。サラッと目を通して、電源を落とす。この後、たかだか1〜2数時間、電源を切っておいても大丈夫だろう。

「あ、あのさ」

彼女を見ると、さっきよりも緊張した面持ちでこちらを見ていた。

「その、あの…すごく、今更で、今更こんな事言われてもかもしれないんだけど…」

その後に続いたのは、俺が予想していなかった言葉達だった。思い詰めたように話す彼女を見ながら、俺、謝られるようなことしたっけ?と思い返す。メッセージで一方的に別れを告げたのは俺じゃなかった?

「…怖かったんだ。傷付けて、ごめんね」

言いにくそうに、でも真っ直ぐに彼女は言葉を紡ぐ。その素直さにたじろいでしまう。違うよ、怖かったのは、俺の方。

「…うん」

開演前のアナウンスが流れる。歓声が湧き、会場全体が前のめりになる。もうすぐ、ライブが始まる。

「今、彼氏とかいんの?」

こんな時に、何聞いてんだ俺、と思いつつも言葉を続ける。

「俺はいないんだけど」
「わ、たしも、いないけど」
「そか」

いないのか、じゃあ、大丈夫か。何が大丈夫なのか、わからないけれど、それさえ会場の興奮が飲み込んでくれる。
開演前に流れるお決まりの音楽がボリュームを上げていく。その音に負けないように、少し声を張る。

「じゃあ、せっかくだし、一緒に楽しむ?」

多分、普段の俺だったら言わなかったセリフ。でも、この会場の雰囲気と、こないだ言われた弟の言葉が後押しをしてる。
ひとりより、ふたりの方が楽しいよ。

「話はそれからにしない?」

ぱあっと表情が晴れて、嬉しい、みたいな顔で、なんでって思いながらも、やっぱり俺も、嬉しくて。うん!と笑う彼女に、きっと、自分で思ってる以上の笑顔で応えていたと思う。

***

ライブの曲の半分は知らない曲だった。
でも、イントロの度、こちらを向いてあれだね、これだね、と話す彼女が、俺がわからなそうにしていると、この間やってた映画の主題歌だよ、とか教えてくれる。会場の熱気と興奮からか、彼女も随分と距離が近い。気を抜けば彼女が囁く唇が、俺の耳にあたりそうだった。

いい匂いするな、とか思いながら、そうなんだ、と答える。すっごくいい曲だよ、と彼女が笑うから、すっごくいい曲に聴こえた。
彼女が全力でc&rするから、俺も一緒になってやってみた。お蔭ですぐに利き腕がパンパンになる。
曲に乗る度、彼女の耳元で揺れるピアスに、開けたんだな、なんて思ったりもした。
そんな調子で、半分くらい、彼女を見ていた。彼女がステージに集中していたら、よかった。元カレがライブにろくに集中せず、自分ばかり見てたら気持ち悪いだろう。

「は〜〜〜めっっっちゃ、よかった…」
「とりあえずお水飲んどきなさい」

照明が明るくなった会場で、ぼんやりと夢見るみたいな彼女に声を掛ける。ライブ中、あれだけ声を出して動いていたのに、全く水分をとっていなかったから、少し心配だった。案の定、彼女はほとんど残った水に口をつけると、そのまま一気に飲み干した。

「めっちゃ飲むじゃん」

自分も水分を摂りながら、思わず笑ってしまう。
さて、この後どうやって彼女との時間を作るか。飲みに誘うのはちょっと違う気がするし…とあれこれ考えながら退場アナウンスに従って外へと向かう。
会場の外は、もうすっかり暗く、でもまだ日中の熱を帯びていた。

「…いや、めっちゃよかったわ」
「うん、ほんとに…まさかあの曲までやってくれると思わなかった」
「アンコール神だった」
「神様いた」

ライブの話をしながら、この後の流れに繋がるような会話を探す。彼女が人波に飲まれないようにさりげなくカバーしながら。一度に複数のことを考えながら歩いていると、思考が止まりそうになる。

「でも、ほんと、今日一緒でよかった〜」

不意に彼女が言う。

「チケット買う時にさ、1枚選んで、仕方ないんだけど、やっぱり誰かと一緒にさ、こうやって感動を共有しながら観れるのって最高だよね」

嬉しい、けど、それってどういう意味で?とまた考え事が増え、頭の中がパンクした。フリーズ状態で歩いていると、黙りこくる俺に彼女が気まずそうに繋げる。

「だから、声掛けてくれて、ありがとね」

おう、と答えてとりあえず笑う。仕事ではもっとスムーズに話せるはずなのに、彼女に対してはどうしてうまくできないんだろう。

「家どこ?駅どっち?」
「上野の方に住んでるよ。水道橋から秋葉原乗り換え」

高台にある会場から、坂の下にある駅を見下ろす。その道なりがもう、人だらけだった。

「水道橋かあ…めちゃくちゃ混んでそうだなあ」
「…確かに!」

あ、そうだ。スマホを取り出し、マップアプリを立ち上げる。秋葉原乗り換え、と彼女は言っていた。秋葉原駅、と打ち込み、徒歩で掛かる時間を確かめる。30分の表示に、ちょうどいいじゃん、とほくそ笑む。

「俺も秋葉原方面なんだよね」

全然嘘。本当は反対方面。

「いっそ秋葉原まで歩く?30分くらいで行けるみたいよ」

コンビニで飲み物でも買ってさ、なんて気楽な感じを装う。いいね!と笑う彼女に安心して、何の気無しに言葉を続ける。

「話の続きもしたいしね」

そう言った瞬間、彼女の空気が凍った。
あれ?俺、なんかマズった?
コンビニに寄った時にはもう、彼女は暗い顔をしていて、ぶつぶつ言いながら飲み物を選んでいた。ひとりの世界に入りたい感じかな、と早々に缶ビールを選び外で待つ。
しばらくすると、お待たせー、と彼女が凛とした女性の顔を作って帰ってくる。おー、とビールを掲げると、え、飲んでいいの?と表情が崩れて、またバタバタとコンビニに戻っていく。次に出てきた彼女は、もうさっきの大人の顔ではなく、ライブ終わりの少女のような表情に戻っていた。ほんと、くるくる表情が変わる子だな。

***

「かんぱーい」

ちいさく音を立てて冷たいアルコールを体内に入れる。清涼感が心地いい。
人がまばらな大通りを肩が触れるか触れないかの距離で歩く。きっと、普通の、友人同士のパーソナルスペースよりグッと近い。でも、今ならライブの熱に絆されて、許されると、思う。

「俺も、さ」

ライブ中、話そうと考えていたことを言葉に出す。思ったよりも軽く、話し出せる自分がいた。

「今更な話、してもいい?」

そうして俺は、彼女と付き合う前から当時のこと、その後のことをざっくりと説明した。彼女は特に何を言うわけでなく、適度に相槌を打ちながら聞いてくれる。哀れみの言葉も、アドバイス的な言葉も、欲しくなかったから、その受け答えが嬉しかった。
きっと彼女は気まずさもあって言葉に詰まったりしてるんだろうけど、俺のことを考えて言葉を選んでくれている沈黙が、嬉しかった。

「…高校の時にさ」

だからだろう。言わなくてもいい、見せなくてもいい、一番最初に傷付いた場所を、少し話してみたくなった。高校時代の彼女のこと。言われて、衝撃的だった言葉。

「もう話聞くのしんどいから別れたい。あなたが辛い時なのに、支えられなくてごめんねって」

頭の中で何度も反芻したセリフを改めて言葉にすると、またグサっと刺さるのもなんだな。胸につっかえる何かを飲み下すようにビールを煽る。

「それから、自分のこと話すのが、少し、怖くなった」

自分でも声が震えているのがわかった。かっこ悪い。言わなきゃよかった。
でも、彼女が真っ直ぐに言ってくれたから俺も、ちゃんと返したいって思った。
信号が変わる。意識的に彼女の前に立つように歩く。きっと今、変な顔をしている。見られたくなかった。

「ライブが始まる前、謝ってくれたじゃん?でも、俺だって謝らなきゃなんだよ。結局、俺も、こうして誰かに話すことが怖くて、逃げてただけだったから」

本当は聞いてもらいたい癖にさ、嫌われるのが怖かったんだ、そう言いきって、彼女の方を振り返る。外面用の笑顔を作って。
その瞬間、ちいさな温度が背中にふれた。

パシッ。

反射的に払ったのは彼女の手だった。
え、なんで…?自分の行動に、そもそも彼女の行動に驚いて言葉が出ない。

「…ご、ごめん」

慌てて謝る。

「ううん、私こそ、急にごめん」

彼女は傷付いた顔でも、憐れむ顔でもなく、柔らかい笑顔で俺に言った。

「頑張ったんだね」

その一言に、胸の奥がうずく。
ずっと押さえつけられていた何かが溢れて、こぼれ落ちる感覚があった。

「…え?」

気付いたら泣いていた。止めたいのに止まらない。ポロポロと、子どもみたいに涙を流す自分を理解できなかった。

「ご、ごめん、急に、こんな、なんで、俺」

再び、彼女の手が俺の背中に乗る。細い指、小さな手、少しひんやりと俺の体温に馴染む。
余計に涙が止まらない。でも、止めなくていいよ、と言ってもらえている気がした。泣いてもいいんだよって。

促されるままベンチに座って、彼女の隣でシトシトと泣く。嗚咽するでもなく、ただ、涙が落ち続けるのを眺めた。ダメだ、全然止まらない。途中、何度もごめんと謝った。彼女はただ、大丈夫だよ、と言った。
そうやって、ずっと俺が落ち着くまで、彼女は静かに隣にいてくれた。大丈夫だよって言ってくれる声が、触れる手が、隣にある息遣いが、全部やさしくて、恥ずかしいのに、安心している自分を感じた。

***

…やってしまった。
盛大に泣いた後、俺が落ち着いたのを見計らって、彼女はトイレ行ってくる、と席を外した。
いや、マジで、何やってんの俺!30過ぎた男が急に泣き出すなんて、気持ち悪い以外の何ものでもない。しかも元カノの前で。
あーもー、と天を仰ぐ俺に、彼女が冷たい水を持って帰ってきた。

「…ほんっとうに申し訳ない」
「え、いや、全然!むしろ私が泣かしたみたいになってごめん」

いや、うん、まあ、そうかも…と口籠っていると、ふふっと笑い声が聞こえる。

「いや、笑うなよ」
「ごめん、ごめん」

嫌味のない言い方に安心する。迷惑ではなかった、かな?彼女から水を受け取り、目元を冷やす。とりあえずこの後、電車に乗れるようにはしておかないと。熱くなった目頭に、ひんやひとした感触が心地よかった。
彼女が隣に座り、キャップを開ける。コクン、コクン、と飲む音が可愛くてつい聞いてしまう。…キモいな、俺。

「…いい一日だったなあ」

彼女が呟くように言う。その横顔は柔らかく夜の灯りに照らされて、ああ、やっぱり綺麗だな、と思った。俺も、と返すと、小さく笑った。

「さて、帰りますかね」

え、もう、帰るの?と時計を見ると、ライブが終わってからゆうに1時間は経っていた。少し躊躇したが、タイミングとしては今しかない。

「ねえ、連絡先、聞いてもいい?」

心臓の音が大きくなるのを感じながら、平静を装って考えていた言い訳を並べる。

「今日のお詫びしたいから。飯でも奢らせて」

ドキドキしながら返答を待つと、彼女は、あー、とか、うー、と言いながら歯切れが悪そうに口を開く。

「…私、連絡先、変わってない、よ?」

ん?どういうこと?と一瞬意味がわからなかった。あ、もしかして、俺が連絡先消したって思ってる?

「あー、結構前に携帯変えて、連絡先移行失敗したんだよね」

だから全部消えちゃったんだ、と事実を述べる。彼女と別れた後すぐ、全てをリセットしたくてスマホを買い替えた。その際に電話帳の移行に失敗し、社会人になる前の人間関係はほとんど消えたのだった。

「あ、そか、うん、交換しよ」

そかそか、と独りごちながら、慌てて彼女はスマホを取り出し、アプリを立ち上げる。QRコードを出しくれたので、読み取って登録していると、彼女がポロッと口にする。

「…ブロックされたんだと思ってた」

え、あ、そういうこと?え、でも、それって…

「ふーん、じゃあ別れた後に俺に連絡しようとしたことがあるんだね」

なんでそんな意地悪な言い方しかできないんだ、俺、と思ったけれど、その言葉に、ハッとして、まあ、その、ね…、と顔を赤くしながら口籠る彼女の表情を見れて、グッときた。ナイスだ、俺。
ポンっとスタンプを押す。すぐに可愛いキャラクターのスタンプが返ってくる。

「じゃあ、駅に向かいますか」
「うん」

そうしてまた、俺たちはふたり駅に向かった。今度はくだらない、他愛もない会話を交わしながら。ライブのこと、そこから派生して思い出したこと、支離滅裂で、でも上っ面の形式ばった会話じゃなくて、自分の中から出る言葉を真っ直ぐに話せているみたいな。久しぶりの、その感覚が心地よくて、楽しくて、まるで一緒に歌ってるみたいだな、と思った。

***

駅に着くや否や、電光掲示板を見て、あ、電車来る!じゃあね、と彼女は足早に改札を抜けていった。情緒も何もないけれど、それくらいが今の俺にはちょうどよかった。
反対側の階段を登ってホームに着くと、ちょうど彼女が乗った電車が出るところだった。

ドア横に立つ彼女と目が合う。小さく手を上げる。彼女が振り返す。たったこれだけが、こんなにも嬉しいってこと、すっかり忘れていた。

去っていく彼女を見送って、ろくに挨拶しなかったな、とメッセージを打つ。シンプルに、でも少しだけ、思いを乗せて。
すぐに既読が付いて返事が返ってくる。シンプルな言葉にリアクションだけ返して、スマホを閉じた。

さて、次はいつ連絡をしようか。お詫びと称した飯屋はどんなところがいいだろうか。こんな風に誰かとの予定を楽しみにするのは、ひどく久しぶりだ。

てか、こっからどうやって帰るんだ?ともう一度スマホを出して調べると、そもそも秋葉原駅からは帰れないようで、別の駅に行け、と指示される。思わず笑って改札に引き返す。あー、ほんと、何やってんだろうな、俺。でも、こんな感じも悪くないな。
ここ数年、ずっとどんよりと重かった気持ちが急に晴れていくような、爽やかな心持ちだった。

***

地元駅に着いた頃、スマホがブブッと鳴った。ロック画面に表示されたのは彼女の名前で、少し胸がキュッとなる。何となく直ぐには開きがたく、そのままスマホをポケットにしまう。コンビニでビールと軽い食べ物を買って、家に着き、袋を机に置く。
ソファに腰掛け、ロック画面を開く。赤く、①のバッジがついたアプリをタップするかしないか迷って、とりあえずシャワーを浴びることにした。
汗と涙の後を流しながら、初恋かよ、と心の中で笑った。

さっぱりした身体にビールを流し込みながらスマホを手に取る。連絡アプリを開くと、未読のままのメッセージがあって、ちゃんとある、とまたちょっとニヤけてしまう。
親指で普段通りにタップする。メッセージが目に飛び込んできて、思わずソファに倒れ込む。不意打ちの可愛いメッセージに、心臓の奥をギュウっと掴まれたみたいになる。甘く、苦しい感じ。ぐうう、と悶え、おでこに手を乗せる。スマホの画面には、彼女からのメッセージが光っていた。

『無事に家に着いたよ〜そっちはどうかな?
あとね、さっき伝え忘れちゃったんだけど

私も、会えてうれしかったよ』

心臓痛いってこういう感覚?
いつか彼女に聞けたらいいな。


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