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生は儚く、死はすぐそこだ -映画『すずめの戸締り』感想文後編-

先日観てきた映画『すずめの戸締り』感想文後編。時系列バラバラ、サラリとネタバレありです、ご注意ください。長いですが、後編もお付き合いいただけると嬉しいです。

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現代の神話のようにも感じて、自然現象を新海さんは、というか、昔の日本人はこんな風に捉えていたのかな、と思った。非科学的だけど、そこには自然に対する畏怖と敬意がある。

最後の戸締りのシーン。草太さんが神々に謳う「生が儚いものだと知っています。死がすぐそこにあることも重々承知です。それでももう一年、もう一日、もうひと時と生きながらえたいと思う」という言葉。正確ではないけれど。

生きているのは奇跡みたいなことで、いろんな歯車がひとつでもずれたら、わたしの今は存在しない。でもそんなこと、日常のあれこれに流されて、あっという間に忘れていく。
わたしを含め、人々はあまりにも、生きていることを当たり前とし、命に対しての計らいはなく、軽んじているのではないか、そんなことを感じた。

閉じ師は儲からない、という件で、草太さんが言う「ほんとうに大事な仕事は、人から見えない方がいい」という台詞も耳に残っている。見えない世界の、でも現実に大きく影響する想念や記憶、思い出との折り合い。

後戸は人の想いが残った場所に現れる。後戸からは災いが出てくる。想いは執念となり、災いに転じることもある。そうやって消化されなかった想いを要石が抑えてくれている。
要石は猫として描かれていて、調べるといろんな意味合いがあるみたいだけど、わたしが感じたのは、こういう見えないところで動物たちが犠牲になってくれているんだな、ということ。だから古の人々は祈りとして、感謝の意を神さまに、そうやって守ってくれている存在に、手向けたのではないか。

こうやって書いていくと、まるで自分たちが世界を回しているように思っている現代の大人たちは、見えないところでたくさんのものに守られて、愛をもらって生きているのに、その愛に氣付きもせず、ぞんざいに扱い、横柄で傲慢なんじゃないかと思えてくる。

少し話は変わるけれど、子育てに行き詰まった時、子育ては給与換算するといくらだとか、それくらいの価値がある仕事なのだから、あなたのやっていることはすごいことなんだよって励ましてもらうことがある。有難いことだし、そうなのかもしれないけど、なんだかピンとこなくて、もやもやした心が晴れることはなかった。
でも、この作品を見て、ああ、そうか、と思った。

子育ても、《ほんとうに大事な仕事》で、それは《人には見えない》ものなんだ。

あれがいい、これがいい、という方法論は山のようにあるけれど、結局はその子個人を見て、何を必要としているか、どうあったらいいか、頭だけではなく感覚も身体もフル活用して接していくしかない、というのがわたしの体感であり、わたしの娘への接し方で。わたしはわたしなりに考えや想いを持って娘と日々を過ごしているけれど、それは彼女の調子や成長によってころころと、刻々と変わるし、言葉にしにくい。彼女と自分のコンディションをじっと観察したり、彼女の氣持ちを尊重したり、とにかくひたすら待ったり、それは見る人によっては子どもの言いなりのように見えたり、なんでもいいよ、と許しちゃうゆるゆる適当ママなのかもしれない。
だから、人からの評価も受けにくくて、評価して欲しいわけではないけれど、でも、やっぱりどこか不安というか、これで大丈夫なのかな…という氣持ちはあって。

でも、草太さんの言葉で、それで大丈夫だよ、ちゃんと大切な仕事をしているよ、と背中を押してもらえている氣がして嬉しかった。人に見えなくてもいいのか、説明しなくていいのかって思ったら、ふっと肩の力抜が抜けて、もっとわたしらしく娘といていいんだなって思えた。

少し前に友達と話していて、彼女が言ってくれた「命を繋いでいるじゃない」という言葉をやっと素直に受け止められた。命を繋ぐ、娘らしい命の輝きを共に育む。人には見えにくいけれど大切な仕事を、わたしは毎日やっているんだ。

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映画の話というよりも自分の想いが9割くらいになってしまいました…そして子育てに関することが多い。やはり、自分が今、一番関わっている事とリンクさせてしまいますね。
立場や考え方、性質によって刺激が強かったりするかもしれませんが(アラート鳴ったり、大きな揺れや3.11の描写があるので)、わたしはこの作品に出逢えてよかったな、と思いました。
氣になった方は是非♪

(おしまい)

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