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2024年6月9日(日)「こどもの声をきくことは、未来の声をきくこと」

シンポジウム「こどもたちとの探究をデザインする」に参加してきた。東京都が行った「とうきょう すくわくプログラム」に参加した保育園や幼稚園の先生や関係者の方々が100名程集まっていた。……ちょいまて、私めちゃくちゃ部外者やんけ。SNSで見つけて「お、おもしろそ!」と思って即申し込んだけどさ、これ参加してよかったんか?と思いつつ一番前の席に座った。

ずっとずっと知りたいレッジョ・エミリア教育の話をたくさん聞くことができた。一番印象に残った言葉は「いま、目の前にいるこどもは未来から来たこども。こども達の声をきくことは未来の声をきくこと」こどもたちは大人の話をきいて、自分の世界でまた考え直しているというようなことを話していた。こどもの言葉は大人の想像をひょいっと超えてくる。かなり軽やかに走りぬけていく。それを大人は大人が知っている言葉に言い直したりする。ガチャガチャに組み合わさったこどもの言葉は「はてな」がたくさん含まれているようで、言い換えることも言い直すこともしたくないなと思う。きっと、その瞬間にしかくっつかなくて、その瞬間にだけ生まれた言葉のような気がするから。なんかよく分からなくなってきた。

「ことばの間(あいだ)を引き出す」という話も印象的だった。ことばの間……対象がこどもじゃなくてもことばの間に気付くだけで関係性が少しだけ柔らかくならないだろうか。ふと「すきだよ」も「だいきらい」も間がたくさんあるんだよな……と思った。

今日のメインはアトリエ体験。光、自然、デジタル、絵画素材のブースに分かれて行う。私は自然に参加した。種類の違う貝殻を手に取り、質感の違いを楽しんでいると小さな穴がたくさん空いた貝殻に夢中になっていた。観察していると、いくつもある小さな穴の一つに別の貝殻が入っていることに気付いた。どうにかして取れないか振ったり指先をねじ込もうとしてみたり……ああ、こどもの遊びがよく分からないのはこうやって物凄く小さな部分をひたすら見つめていたりするからなのかもしれない。

三角になった板をどうにかして四角に組み立てたかった。そんな時、大人に「それは難しいよ」そんな声を掛けられたら「難しいかどうかは私が決めるから黙ってて」そんなことを言ってしまうなと思った。位置をずらせば四角に組み立てられ、近くにあった馬を乗せた。馬の前に鏡を置いて、鏡に映る馬目線の世界を作った。

「私には見えない世界を見ている馬」

薄くスライスされた木を積み上げた。特に理由はないけど、だいたい同じ高さになるように積み上げた。長い木の枝を支えるように積み上げた。特に意味も理由もないときに「これはなあに?」なんて聞かれても困るなと思ったし、「これはなあに?」って聞かれたら、無理やり適当な何かに当てはめてしまうだろうなと思った。

何だか分からない植物を観察していたら空洞になっている部分を見つけた。近くにあったなんだか分からない植物をブスブス差し込んでみた。花束ができた。とっても綺麗な花束ができたと思った。これを飾る場所がほしいと思った。だけど、見当たらなかった。「この花束を飾りたいの。なにか飾れるものないかな」「ごめんね、いますぐ用意できない」そう言われたらめちゃくちゃショックだなと思った。全部頭の中で会話が行われていた。大人の声とこどもの声どちらも聞こえてきて大変だった。


いろいろな種類の葉っぱの近くにレースが置いてあった。レースの形に合わせて葉っぱで塗り絵をしてみた。すぐに飽きた。


周りの目なんて気にせず、遊びに没頭した。知り合いなんていなくても、遊びは一人でできた。知らない人に「この葉っぱ、気持ちいいですよ」と話しかけて葉っぱをあげた。

みんなで対話をする時間の代わりに講師の人が気になる遊びの痕跡をピックアップし、「これについて話を聞かせてください」と聞いて回った。私は2回も「話を聞かせて」と言われてえへへとなった。

「これは、葉っぱの塗り絵です」「おお〜!あまりない発想でおもしろいですね!」と言われて自分の発想を認められる喜びを味わった。

「これは、私には見えない世界を馬が見ているんです」

私は部外者というか、どこにも所属していないし、もう保育士ではないのだけれど、多分、きっと、こどもの遊びの世界の住人になった方がいいんだろうなと思った。保育士から離れて色んなことに気付いてきた。もっとこどもの言葉を聴きたいよ~~~。ここ最近のわたしは何をしているのかよく分からない。歩きやすい道をぼーっとしながら歩いている。何にもしてないわけではないけれど、たいして何もしていない。コーラの素を買ってあるから炭酸で割って飲もうと思っているのだけれど、炭酸水を炭酸水のまま飲み干してしまうことについて悩んでいる。ただ目の前にあるものを見る時に物凄く目線を下げて見たり、地べたを這いつくばって見たり、逆さまになって見たり、そんなことをしてみたい。そんな風に思っていても私の目はそこまで柔軟じゃなかったりする。真っ直ぐにしか見ていなかったりする。ぼーっとしちゃうなあ。

最後に木炭で走るどじょうを描いて帰った。


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