2021.9.23 シンプルな体

遠方の大きな映画館まで、一人で車を運転して出掛けた日の話。(映画ムーンライト・シャドウのネタバレを含みます)

映画「ムーンライト・シャドウ」を観てきた。

朝6時に起きて、炒り卵を食パンに挟んだやつと、ぶどうとヨーグルトを食べて、化粧して、もちろん顔も洗って服も着替えて、行ってきた。

服装はグレーの薄手のスウェットみたいなんと水色のプリーツスカート。グリーンのフラットパンプス。カバンは緑っぽい水色のかごバック的な。割と好きな組み合わせ。

明日仕事やけど、そんなん関係なくやりたいことしようって思った。最近自分の中のハードルというか、いろんな敷居が低くなった気がする。


車で自分の好きなとこへ遠出するの初めてかもしれない。用事あってとか、To Do的なものがあるときは行動するけど、いざ自分でやってみたい、と思うことがあってもメンタル面とか、次の日の体調とか、そういうこと考えて行動してこなかったのが今までの私かなと思う。

そう思うと最近は次の日仕事があっても夜更かししたりとか、1日しか休みなくても遠出したりとか、自分にはよくなさそうに見えて、でも自分のやりたいことはやれている気がする。ていうかそんなふうな私になりたい。自分のやりたいこと、やれている私を夢見る。多少のしんどさはあれど。

車運転してたらやっぱりちょっと頭痛くなってきて、なんか一人で運転するのは知らず知らず緊張もするし余計。でもすっごい自由だな~~とは思った。怖いけど楽しいんよ。怖いから楽しいのかもしれんし、不安やから楽しいのかもしれん。

行きはスピッツを聴いて、帰りは宇多田ヒカル。スピッツは遠出するときいいね。なんか日常を捨てすぎず、その延長線上のまま、どこか遠くへ行けそうな気になる。好き。


それで、私は映画を観ていろいろ吸収したいなぁって思ってたんやけど、いろいろ考えすぎて楽しめないのも嫌やし、何を学ぶかとか、そんなことは置いといてフツーに映画観よう、と思って観た。なんか不思議な世界観で、きれいなものをぎゅっとぎゅっとぎゅっと凝縮してるから不気味、みたいなそんな気もしたんやけど、これはこれでいいな、と思う映画だった。

ムーンライト・シャドウは、交通事故で恋人の等を亡くした主人公・さつきと、同じく恋人のゆみこを亡くした等の弟・柊が、大切な人を失った苦しみから少しずつ歩き出していく物語。その中で、うららという不思議な女性と出会い、月影現象(原作では七夕現象)という死者と再会できる現象に立ち会うことになる。

原作のムーンライト・シャドウも好きだけど、でも映画ですごい胸に来たシーンがあって、それは小説にはなかったシーンなんじゃないかな? と思って家に帰ってから小説を確かめたら、あるにはあるけど全然違うシーンとして撮られてあって、それが私の一番好きなシーンとなった。映画の、小松菜奈の、あの感じがすごいよかった。

うららに、声を出してみない? と言われて、さつき(小松菜奈)が声を録ってもらう。何を話してもいいし何を話さなくてもいい、と言われて、さつきが映画の冒頭につながる、「鈴の音が、ずっと耳を離れないんです。」と話し始める、さつきが等にもう会えないんだってことをバーっと吐き出したあとの、「お腹すいた」という言葉。前までのシーンでずっと何も食べれていなかったさつきの、泣きながら、「どうしよう、ものすごくお腹すいてきた」というあの言葉を、とてもとても大切に思う。

人間、大事なものを失っても、それでも体は生きる。心がこんなに止まろうとしているのに、体は進もうとする。その残酷さというか、それが希望と呼べるのかはわからないけど、でも、体はどこまでも動物なんだなぁと思った。

そのあとさつきは天ぷらと蕎麦を食べるんやけど、そのシーンの撮り方といい、すごくきれいなのに、でも「イキモノ」って感じがしてすごくよかった。このシーンのためにこの映画があるんじゃないかってくらい、私に感情の波を残していくシーンだった。

私はまだ誰か大事な人を失くした経験がほとんどない。おばあちゃんが死んだときくらい。でもいつか、お母さんが死んだときとか、私どうなるんだろうって思う。怖いな。私生きていけるのかな。でも、泣きながらでも私は何か食べるんだと思う。さつきみたいに何も食べる気がしなくなっちゃうのか、それはわからないけど、あんなふうに私、ものを食べなきゃならないんだなって、いつかはそんな日が誰にでも来るんだなって、それはこの映画で感じたことだし、いつかそんな日が来たときには、この映画を思い出すのかなって思う。

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劇場を出てパンフレットを買った。木下龍也と、岡野大嗣と、谷川俊太郎の詩と短歌が載っていると知ってて、それもこの映画を観た一つの理由。それはあとからじっくり読もうと思う。

今これを書いてるのは、映画を観て帰ってきて諸々用事を済ませてすぐなんだけど、色んな感性とか、色んな捉え方とか、そんなものに浸される前に一旦私を私のまま書いておきたいと思った。

映画を観終わったあと、隣接する本屋さんに行って、そこでなぜかレシピ本(家にある材料でできるスープの本)が目に留まって、まったく買う予定になかったのに、今日はこれ買わねば! と思ってしまって買った。なぜなんだろう(笑)もしかしたらお腹すいてたからかもしれない。でも、なんか、食べることってすごい大事だなと映画を観て思ったから、自分のために栄養のあるものを手軽に作れるレシピは持っておきたいって思った。今後一人暮らししたときにもそういうのは役に立つやろうし、そういうのも含めて、今この本買いたい! と思った。

そんなこんなでレシピ本を買ったことは自分的今日のハイライト。普段あんまり衝動買いとかしないタイプなので。でもこういう私が現れるとちょっと嬉しくなる自分もいる。秘めたる自分に正直になれる瞬間、みたいな。普段なかなかないのでいいな。

それから無印良品で、爪切りと、ネイルのベースコートと、お菓子と、とうもろこし茶と、プラウンマサラというカレーを買って帰った。家に着いてから遅めの昼ご飯でプラウンマサラを食べたんだけどすごい美味しかった。海老とココナッツミルクのカレー。この美味しさにびっくりしてテンション上がった。

なんか出かけている間はいろいろ削ぎ落された気分になる一日だった。特に映画観たあとは。詩作とかのために吸収しよって思ってたけど、何かむくんだものを落として、シンプルに必要な栄養素だけを残したって感じだった。未来がどうであるかなんてどうでもよく、今シンプルであることってこんなに気持ちいいんだなーって思った。


で、未来、つまり家に帰ってきた今はだんだん心が沈んでいって、またむくみを溜めつつある。それも日常だからこれはこれでいいんだけど。一人で外出したあととか誰かに会ったあととか、いつも頭が痛くなって今日もそれで、しかも熱っぽいので頭痛薬を飲んだ。

時刻はPM4時。これから夜に向かう。明日は仕事。

でも、そんなの関係ないんだよ、私は私でいたい、いついかなるときも、どんなにかけ離れた感情とか、考えとかを持ってそれに振り回されたとしても、それはぜんぶこの広い広い心の中に起こってることで、こんな一日もあって、あんなに何かを感じて、シンプルになれて、でもそれも一瞬のことで、日常とは次から次へとごたごたが襲ってきてしんどい。それでも私は私なんだね。苦しいくらい、それが私なんだね。

今日の感情の波は消えて、それでもいつかめぐりめぐって、もう一度、私のもとにこの波が打ち寄せてくれないかなどと思う。その日までも私、生きていこうね。

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