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やさしさは回る

note の世界ってなんだかやさしい感じがしませんか。

私が note を始めた時、たった一度きりの投稿のつもりでした。
自分の人生での壮絶な体験をどこかに残したくて、たった一人でもいいから目にとめてもらえたる場所があればいいな…と探していたところ、note の世界に出会いました。

実際に記事を投稿してみたところ、誰にも見てもらえないかと思っていたのに、思いがけず記事を開いてもらえたり反応を戴けたりと、温かい気持ちにさせてもらえました。

それからふらりと note の世界を散歩しているうちに、色んなクリエイターさんのたくさんのやさしい記事に触れさせてもらい、いつの間にか note の世界の居心地の良さに、長居してしまっています。

ではなぜ、こんなにも note はやさしい場、空間になっているのだろう?

そう考えた時、「やさしさは回る」という結論になりました。


note の世界のやさしさはどこから来るのか

note のひとつのやさしい記事に触れた時、私の心には一輪の花が咲きます。

やさしい記事を読むと、ほっと心に余裕が生まれ、自分も自然とやさしい記事を書きたくなってきます。

やさしさは心に余裕を生み、その心の余裕がまた新たなやさしさを生みます。
note の世界ではその循環でやさしい世界が広がっている気がします。

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日常でふれるやさしさ

私はよく赤ちゃんを連れて街に出ます。
すると、通りがかりの人に、毎日の様にやさしいお言葉をかけてもらいます。

「かわいいわね♡」
「大事に育ててあげてね」

そんなやさしいお声がけにいつもあたたかい気持ちにさせてもらい、いつか私も、そんな子育てが落ち着いたぐらいの年齢になったら、赤ちゃん連れのお母さんに声をかけたいなと思います。
(いや実際には、見かける赤ちゃんがかわいすぎて、思わず声をかけてしまう様になるのかもしれないけれど。)

通りがかりの人にやさしいお声をかけてもらうと、自分もだれかにやさしい言葉をかけたくなる。

こうやって、日常の街中でも、やさしさがやさしさを生み、やさしさは回っているのを感じます。

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リンクするやさしさ

では note の世界のやさしさと、街中のやさしさは、それぞれ別の世界で、切り離されているのでしょうか。

例えばいつものように、note の世界のやさしい記事に触れ、そこでもらった余裕のある心のまま、外出します。
すると、街のだれかに手を差し伸べたくなります。

やさしさを享受しているのは、他でもない自分なので、note の世界にいようが、外の世界にいようが、場は関係なく、note の世界でいただいた心の余裕から、新たなやさしさが生まれてきます。

こうして、心の余裕というものを起点として、やさしさの世界がぐるぐる、ぐるぐる、と繋がり始めるのを感じます。

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大切な人とのやさしさのやりとり

では一番身近な人、家庭でやさしさを回してみたらどうでしょう。

例えば、いつも私がやっている家事を、夫がやってくれた時。
あら嬉しい、と思うと同時に、私もいつもは夫がやってくれている家事をやりたくなってしまいます。
夫に感謝が湧き、夫のいつもの何気ないやさしさに気付く。

家庭内で、やさしさが、ぐるぐる、ぐるぐる回り始めます。ついでに子どもたちも巻き込んでぐるぐる、ぐるぐる。
幸せな家庭になっていきます。
これこそが、家庭の雰囲気というか、そういったものを作り出している様に感じます。

その家庭のやさしさが外へも飛び出して。

ぐるぐる、ぐるぐる。
やさしさは回り、やがてそれが大きくなっていけばいいなと思います。

やさしさの歯車が噛み合い、それが回り出す時、小さなやさしさが、やがて大きなやさしい雰囲気や場を作り出せる様に思います。

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やさしさって、始めはなにか大層な事をしなければいけないと思っていました。

でも最近は、街中の温かいお声がけに触れ、そして、note のやさしい記事に触れ、たった一声でもやさしい気持ちになれると知りました。

だからこそ、私でも、何かできそうに思います。

だれかの心に余裕を生む、一番始めのやさしさを、私もわずかながら、提供できたらいいなと思います。

今のこのご時勢、経済を回そう、とよく言われますが、こんな時こそやさしさも回していけたら、世の中明るくなるのかな。

そんな思いで、この note を書きました。

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