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「ゴミ拾いをしてもこれをどうしたら良いのかわからないんだ」

インドネシア・ロンボク島の村で友だちが、語り合いの時間を持つために、連れて行ってくれた川岸にあるあずま屋はお菓子やペットボトルのゴミに溢れており見苦しい状況だった。

そこで私たちはそこのゴミ拾いを始めた。
私が持っていた3枚のレジ袋はあっという間にいっぱいになり全てのゴミを拾うことはできなかった。

袋いっぱいになったゴミを持ちながら村の青年が「拾ったはいいものの、僕たちはこれをどうしたら良いのかわからないんだ」と悲しそうに笑った。

ひとまず、そのゴミ袋を私のホームステイ先に持ち帰ったが、私が帰る日までそのゴミ袋は玄関に置きっ放し。

ゴミ拾いをしてもそのゴミを処理する施設はここにはない。ゴミを拾ってもそのゴミは行き場を失ったままなのだ。

ロンボク島には小分け包装になった商品が多い。収入が少なくその日暮らしの人々にとって小分けの商品は大きな助けになる。シャンプーも洗剤もオムツもお菓子もみんな小分け包装になっている。でもその包装分のゴミが増える。

小分け包装の商品を輸出し成功した企業は、そこにゴミ処理の施設がないことなんて気にも留めていない。日本の企業も例外ではなく、ゴミ拾いをしながら日本語が書かれたパッケージや馴染みのメーカのロゴを見ると心が痛んだ。

私は15日間のインドネシア滞在中に出たゴミを全て日本に持ち帰ってきた。それはスーツケースの4分の1を埋めかなりの存在感があった。


しかし、もし私がそのゴミを置いてきたらそれは行き場を失ったまま10年20年間、島に残るかもしれないと思うと置いてくるわけにはいかなかった。

ゴミ拾いをして味わったあの虚しさを私は忘れない。

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