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好きな事について:描くこと

私が描くことの振り返り。

興味があちこちに移る私が、幼少期から今まで一貫して好きな事がある。

描くこと。

大学生頃から絵筆を持つことが殆どなくなってしまったが、
コロナ禍あたりからぽつぽつと描くことを再開し始めた。

小さい頃は大人に褒めてもらうのがただ嬉しかった。
両親が病気がちな妹につきっきりだった事もあり、祖母の家で過ごすことが多かった。祖母は私の為にいつもいい感じのチラシの裏紙を集めておいてくれていた。紙が大きく、厚みのあるカレンダーの裏紙なんかあれば最高。
今でも真っ新な紙を前にするとわくわくする。

大人は「上手だね」と褒めてくれるが、写真家である叔父が少し違った。
「この絵はこんな風に描いたらもっと良くなる」などとアドバイスをして子供のお絵描きに付き合ってくれた。身近な大人が自分の好きなことに親身になって向き合ってくれたことが、とても嬉しかった事をよく覚えている。

中学生頃から私が絵を描いていて両親が良い顔をしなくなった。
基本的に自由にさせてもらっていたが、私が絵を習いたいとか将来絵の方向へ進みたいなんて口にした日には、母が困ったような、悲しむような表情をする。
小中学校の絵画関係のコンクールで殆ど入賞していたことで、私は絵が上手いのだと思っていた。
父は「絵が上手いだなんて思っているなら、それはとんだ思い違いだ」と言った。父に絵を褒められたことはない。
(「中学生らしくない絵」と評価されたものは褒められたと理解していたけど、多分そうではない)
父が美大を中退していたことを知ったのはこの頃。
私は父の絵を見たことがない。
大学時代に絵を描くことを辞め、以来一度も絵筆を持たなくなった。
大学で学ぶほど好きだったはずである。それを一切やめてしまう程の挫折があったのだろう。
私に絵で希望を持たせることをしないのは、父なりの親心なのだと思う。

県の絵画コンクールで入賞すると全国の同年代の絵を見る事ができる。
そこで自分が同世代の子供たちとですら、既にセンスや技術力で大きな差がある事を知る。
小学生の時には直感で、中学生で確信した。

高校や大学を経ると、専門で学んできた人達には到底及ばない技術の差を感じる。
それでも絵は、描くことも見ることも好きな事は変わらない。
最近、絵の道には進まなかったけど、描くことを再開したという友人や知人がぽつぽつと現れた。それまで彼女たちと絵について話したことはなかった。
実は身近に絵を描くことが好きな人がいた、ということが嬉しい。

競わなくてよい、ただ大好きな事を共有できる喜びを享受できるという意味では、絵を専攻したり、仕事とせずよかったのかもしれない。

日本に帰ったら復職前後に小さなギャラリーで、絵を描く友人達と共にグループ展をすることが夢のひとつ。

ふとした時に絵で喜んでもらえたり、
絵で人と繋がれたりしたとき、
描くことを好きでい続けてよかったなと思う。

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