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贅沢もじめじめする。

こんな誰も見てない最果てにしか書けない夜の話。解のない問の話。

例えば産んで貰った事に感謝しなさいと誰かが言うのならば。
例えば健康に怪我なく育った事に感謝しなさいと誰かが言うのならば。
例えば戦争のない時代に日本に産まれた事に感謝しなさいと誰かが言うのならば。

ごめんなさい。

私は好きで生まれて来たわけじゃないって、これは文句とかじゃなくて。
考えなしの欲望の果にほぼ間違いで、望まない妊娠で産まれて来ただけで、どうしてこんなにもただ生きてくだけで苦労しなくちゃなんなかったのかって思てるだけ。
誰にも望まれてなかった事を、どうやって肯定して、どうやってこの孤独を癒やしたら良かったのかって。
こんな夜はそんな事を考えてしまう。
弱い奴で、考え過ぎで、片付けられればそれでおしまいの話。

よく色んな人に「面倒くさい性格」だと言われる
これは自他共に認めることだから特に何も思わない
ただ両親に言われるのがすきじゃないってか未だにムッとなる。
この年にもなって何を言っているのかっていう話だけど

この性格にならざるをえない環境で育って
この性格で何とか自分の心を守ってきた
いわばこの心は私を守る鎧で甲冑だ。

親元を離れてからは沢山の人に出逢って、
私が知らなかった見返りを求めない優しさとか、裏表の無い素直な言葉とかを沢山与え教えて貰った。
出会って同じ時間を過ごしてくれた人達には感謝してもしきれない。
人との接し方も昔よりは幾分もましになった。だからこの性格をどうにかして直したい、ていうよりは凄く重たいこの鎧をそろそろ脱いでいい気がして。

でも実際何年も何年もかけて形成されたこの性格を変えようとするのは凄く困難で、とてつもなく居心地が悪い。でも私を見てくれる人がいるから少しずつでも変わりたいと思ってる。変わらなくても十分に許してくれる、私のままで好きだと言ってくれる人がいるから余計にそう思ってしまうのかな。

ただ父と母に会うと決まって「大変だね」とか「大丈夫」とか心配を口にする。その度に「なんで?」って。
あなた達が少なからず18歳くらいまでは親をしていたはずなのに。まるでその時に何も見えていなかったように、私の性格が形成されて行くところを見ていたはずなのにって。
何度も思ってた、せめて堂々として欲しい、私達の子育ては間違ってなかったって。私をみてそう言ってほしかった。だけど口を衝いて出てくる言葉はきまって「失敗作」

両親に対して絶えず思うのは、どうして、なんで考えなしにそんな言葉が言えるの?って
なんで人の気持がわからないの、わかろうとしないのって。
私に寄り添って話を聞いてくれたことなかったよね、一回も向き合ってくれなかったよね、私の事ずっと無視してたよね、何度も手を振り払ったんだよ、覚えてないよね。
辛い時も一人じゃ抱えきれない時も全部全部間違いながら泣きながら自分で決めてきた。
傷ついても転んでも立ち上がって来たつもり。なのに最初からちゃんと作ろうとしなかったくせに分かったかのように評価して「失敗作」って。

どこかで伝わってしまってるのかも知れない
ある時点から私が親のことを見下している事。キライなんだと思う、人として。キライになる体力も、もう残ってないけど。
彼女たちが私を受け入れられなかったように私も彼女たちを受け入れることが出来なかったんだと思う。
今は早く忘れてしまいたい。思い出さなくていいように、例えば「エターナルサンシャイン」みたいに記憶を抜くことが出来るなら。
変わりたいのは彼女達用に作られた私を好きになってほしくは無いから。彼女たちのレプリカのままで終わりたくは無いから。
DNAも過去も超えて強く優しく人に寄り添える私でありたい、ただ、それだけ


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