見出し画像

沢山の諦めはいつか

私が書かずとも、それぞれがそれぞれにひしひしと色々、感じているきっと。
それは悲しさだったり、悔しさだったり。
言葉で表そうとすると億劫な位、それはもう沢山の感情がひとりひとりの中にあると思う。
これはもう誰も救えない、失われた沢山の時間。
慰めることは出来るかもしれない。
持ち寄ることで軽くなることもあるかもしれない。
だけど忘れることが困難な程の爪痕を私達は共有する事になった。

長く生きていれば、程度は違えど、当たり前のように傷つくことは沢山あるし、
打ちのめされることも勿論ある。天災や人災、数々の困難は生きる上では欠かせないらしい。
幸い私は戦争も震災も経験していないから凄く運がいいのだと思う。
今回も失ったものは、長年の夢だった時間や、随分頑張って貯金した100万円程度のお金くらいだ。
大したことは無いし、夜が明けたら仕切り直すことだって出来る。

ただ、この感覚を改めて大切にしたいと思った。人として。
私達はいつも死と隣り合わせで、当たり前の事なんか一つもないという事。
だからもっと自分を大切にして、人にも優しくいて、毎日を全開で生きるという事。
誰かのため、とか、目標のため、とかじゃなくて、自分のために。
しっかり生きることはシンプルなようで何よりも難しいことだから、
忘れないようにこの期間で見直したいと思っている。
もっと他にやること、しなくちゃいけない事は沢山あるけど、一旦、全部手放して。
答え無しに生きる事。人生に答えは無い。

あーでも。
本当をいうと、随分前から無気力で何もしたくない、いわゆる燃え尽き症候群で毎日がただ過ぎていく。
あの日からプツッと音をたてて、何かが切れたようなそんな感じ。
全部が私の感情とか意思を無視して強制終了させられたから一気にどーでもいいよ、全部。って。
ここから立ち直るには、前を向くのには、歩き出すのには、今回は時間がかかるんだろうね。
でも私にはもう少し見たいものがあって、行きたいところがある。
だからその時の自分の為に、また歩きださなきゃね。
ただどうしてもまだポジティブには成れないけれど。


夏の夕暮れ、ステージ越しに見るサンセットとか。
音楽でそこに居合わせた名前も国籍も年齢もわからない全員が一つになる瞬間とか。
山や海をも越えて行けるんじゃないかって錯覚する程の大合唱も。
その日、その時でしかありえなかった全てが今年は無いと思うと、
沢山の軌跡が奪われてしまったんだなぁ。と
私は若くて健康で今年を我慢すればいい。
でもどうしても今年じゃなきゃだめだった人たち。
今年が最後だった人たちが大勢いたと思うと胸が痛くなる。

こんな思いを後何回、経験するのだろう。
考えると生きてく事が怖くなる。
だけどきっとまだ、あるはずだから、雲間に抜けるヒカリがあるように。
どうか、この暗闇に早く温かなヒカリが差し込みますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?