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make a wish

誕生日についての書き殴り回顧録

私はマックルモアが好きだし、千鳥のノブも大好きで、倉庫内軽作業をしてた21の時に出会ったユキナさんも大好きだ。共通して言えるのはパートナーと同じ誕生日だと言うこと。そして留学エージェントさんも、学校の日本人スタッフも同じ誕生日。関係ないけど志茂田景樹先生、エルトン様、サラジェシカお姉様も同じ誕生日、多分、全員クセが強い。笑。ほんでなんの話やねん、笑

私は自分の誕生日が苦手だ。祝ってもらうのがどうしても得意になれない。
だから極力、自分からアピールはしないし、聞かれてもはぐらかす様にしている。
ただ、一つのタイミングとして周りの人に感謝すると言うイベントに意味チェンした。

いつからだったけか。誕生日を祝ってもらうのが苦手になったのは。確か小さい頃はケーキやプレゼントにわくわくしてたはずの私。
だけど小学校の高学年になる頃には”誕生日を祝う”と言うイベントは私の中で既に消えていた。今思えば心当たりはある。たった一言が私の誕生日をイベントから寂しい平日に変えてしまった。

“誕生日なんかいらない”
そう言葉にしたのは確かに私。
その時の母の悲しそうな表情は今でも覚えている。そしてその年から母は私の誕生日を祝わなくなった。どう考えても私が良くない。

誕生日が近付くと、いつも母は「何が欲しい?」と私に聞いてくれていた。
幼い頃は素直に欲しい物をリクエストしてたんだと思う。(実際は記憶にない)
だけど物心つくと私は母に気を使う様になっていた。母が欲しそうな台詞を言って、極力困らせず、煩わせない様に。
そしてこの誕生日の質問にも母が欲しい物を言うようになっていた。

最後の誕生日プレゼントは電子ピアノだった。それまで私はピアノが欲しいと思った事は一度もなかった。
ただ母がピアノを弾きたがっていた事を私は知っていた、だから私は「ピアノが欲しい」と答えた。
母がピアノを弾いている姿を、私は何を思いながら見ていたのかな。思い出せないや。

そしてその翌年、私は「誕生日なんかいらない」と言うパワーワードを口にした。
究極を言ってしまえば、祝うという手間が全部なくなれば母が楽になるんじゃないか、と考えたからだ。(勿論、本心は祝って欲しかった)
大人になって思うのはそれは大間違いだったという事。
大抵の人は祝って貰うよりも、祝う方が好きで、喜ぶ顔が見たくて好きでやっているという事を私は成人してから気づいたのだ。
子供の頃の私には到底想像も出来なかったことだ。
因みに勿論私も祝うのは大好きだ。

ただ、今でもやっぱり自分の誕生日を肯定出来ないのは変わらない。どうしても祝う気にはなれない。母を思い出すと誕生日は好きになれないイベントの一つだ。
未だ時折、顔を出す母の呪縛を解く術を知らない私は自分の誕生日をいつの日か祝う気になるのだろうか。そして誕生日を迎える毎に私は成長出来ているのだろうか。ろうそくの灯りに願いを込めて吹き消すならば、願うはいつもひとつだけ。

もっと優しく強くなれるように、make a wish.

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