人間の付加価値という反吐が出るもの
「あの人にあんな壮絶な過去があったなんて…いつも元気なのに」
「犯人も可哀想な生い立ちだったんだね…ちょっと同情してしまう」
こういう言葉を聞く度に え…? となる。
みんな聞いてからじゃないとその行動の背景を考えないの?
考えないにしても、人や物事には何かしら背景があるとは思わないの?
元気に毎日笑顔の人は楽しく普通に生きてきたと思えるの?
勿論不必要に探ったり分かった気持ちになって自己満足するのはもってのほかだけど、月並みな言葉で言えば「人それぞれ事情がある」
辛い過去があって同情されて優しくされるなら言ったもの勝ちだよね。
全く同じ苦痛を2人の人間に与えたとして、
"我慢強い、声をあげられない人"と"か弱くてすぐに痛みを叫ぶ人"
文章に書くと前者の方が偉いと思われがちなのに、現実では後者に人が「可哀想」と集まる弱い者勝ちの世界 前者に気付く人は殆どいない
「辛い過去があってもっと好きになった」もよく聞く話だし、人として"自分がこの人の力になりたい、癒してあげたい"と思うのも自然な事なんだと思う。
それでもこういった現実に反吐が出るのは私がひねくれているのだろうか。
逆にプラスの意味の付加価値だと役職、年収、学歴あたりかな
人間性や自頭の良さなんて話していたら直ぐに、完全にとは言わずとも自ずと知ることになるのに、それらにしがみつく人々。
浅はかだとすら思ってしまう。
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