カバラ生命の樹から読み解くディープステートの役割

「ディープステート」という言葉を知ったのはわりと最近ですが、彼らがなんのためにいるのか、世界においてどのような役割を果たしているのかを考察すると、これまで筆者がずっと探究してきたことにつながっているということがわかりました。

その探究は、世界に対する違和感と自己認識に端を発します。これは、成長する過程で経験する”狂騒”というよりも、なにかよくわからないものにつかまれてしまったとしか言いようのないことで、無視することができるうちはよかったのですが、その重圧感に耐え忍ぶことに疲れ切ってしまい、人生を謳歌するエネルギーがほとんどないような状況に陥りました。やがて限界を迎え、情報配信するしかないというところに来たわけです。

探究の道具として、まずタロットカードや占星術が与えられました。かれこれ30年ほど前になります。偶然にも土星の公転周期と一致します。その頃はもちろん「ディープステート」という言葉もありませんでした。

西洋占星術が、どのようにして日本の市場で命脈を保っているのかは、未だに謎の部分が多いのですが、マスメディアと深いつながりを持っていることは確かです。

マスメディアにおいて展開される西洋占星術は、言葉は悪いですが、B層=「貧しいメス犬」向けに設定された市場で、それなりの働きをしています。「メス犬」と書きましたが、性別関わらず、マスメディアが投げつける餌を何の疑問も持たずにほおばっている人々のことを指します。

疑問を持つこと自体を止めることはできないし、彼らは疑問を持つ人を消すことができません。ただし、疑問を発するかしないかは、それぞれ本人の判断に委ねられています。だから、断念させることに対策を講じています。

疑問を持つこと自体が罪であり、疑問を発することで罰を受けるかもしれず、恥ずべきことであると洗脳すればいいのです。

マスメディアが発信する情報を鵜呑みにし、誘導されるままに行動したほうが、楽な人生を送れるように設計されている社会で、彼らに疑問を持ってしまえば、必然的に生きづらくなります。

多少、生きづらさを感じたとしても、逆らうのではなく、折り合いをつけてやっていくしかないと説得させるための手法のひとつが、宗教です。

それでも疑問を持ってしまう人々のために、マスメディアが用意した退避所のひとつが、西洋占星術などの各種占いです。ほかにも、芸能スポーツなどのエンターテイメント産業はもれなくそういった役割を担っています。ニューエイジ・スピリチュアルも同様です。

各ジャンルにはカリスマを設置し、また、御用学者などの権威的な立場を設定し、彼らに逆らっても無駄であると思わせる演出も怠りません。

これまでずっと疑問を持ち続けてきた人でも、ここで人気者になると、疑問を持つことを放棄してしまいます。

なぜ彼らは、人々に「疑問を持つ」ことを禁じるのか。

マスメディアは、いわゆる「一般大衆」が何を考え何をするのかを誘導することに存在意義があります。
彼らの意図通りに動く「一般大衆」が多いほど、彼らの力が有効に発揮されていることの証となります。

しかしマスメディアによって「一般大衆」が作り出されるわけではなく、「一般大衆」が存在する根拠は、一人一人の「ハート」=生命エネルギーにあります。

マスメディアが誘導する通りに動く「一般大衆」を存在させている生命エネルギーは、マスメディアの意図に疑問を持った途端、ろくに機能しなくなります。

疑問は、個別の意思で動く人々を「一般大衆」としてまとまりのある言動を取らせている「共通認識」にひずみを生じさせます。そのひずみは、全体に広がっていきます。

だから、たった一人でも疑問を発することは許されないのです。

疑問を持つ人は一体誰なのかというと、マスメディアと「一般大衆」をつなぐ経路となっている人です。

この経路がなくなると、バベルの塔の崩壊が起こります。

バベルの塔は、文字で作り上げられた虚構であり、そこに意識が入り込むことで、現象として虚構の中で生命活動が展開されています。

意識というのは、永続する生命エネルギーから一人一人の肉体に宿っているものです。

なぜ眠っている時でも心臓が脈打っているのか、呼吸しているのか、肉体が動くのかということを考えると、個別の肉体がありながら、それぞれが根源的にはつながっているとするほうが自然です。

虚構の中で活動している限り、意識はそれが宇宙の根源的エネルギーであるということは忘れています。

虚構の中だけで通用する各種属性を帯びた”私”として自己を認識します。

この永続する生命エネルギーから分離した”私”は、カバラ生命の樹では、「月」のセフィロト(イエソド)に対応します。

「月」は家畜、集合的無意識を司り、この領域を牛耳っているのがマスメディアです。月を挟んで月より少し上に左右に配置されている水星と金星に対応します。

月(イエソド)の上には太陽(ティファレト)が位置し、両天体をつなぐ経路は「節制」が対応します。

太陽は王であり、月は民衆です。

太陽の上には、”王冠”として、生命の樹の頂点(ケテル)が位置し、筆者は太陽系外の恒星を対応させています。

太陽=ハート(ティファレト)と系外の恒星(ケテル)をつなぐ経路は「女教皇」が対応します。

これは、図で解説するとわかりやすいので、次の稿で解説します。

「女教皇」は、ネパールのクマリ(国家の占星術師、初潮を迎える前の少女)のことです。

ネパールは、クーデターで、王の権威は失墜し、女教皇の経路を失いました。

日本のクマリは、巫女です。職業としての巫女ではありません。天皇の存在によって、特殊な国体を維持してきたので、「女教皇」の経路が失われず現在に至り「一般大衆」に紛れています。

ディープステートは、「女教皇」の経路がある国を潰してきました。

フランス革命、ロシア革命も、ディープステートが送り込んだプレイヤーが民衆を操って発生させたと見られます。

「女教皇」の経路を失うと、国家は崩壊します。国民という枠が取り去られた家畜の群れは、暴走しはじめます。そこにはマスメディアが働いています。

まとめにくい家畜の群れ=「月」(イエソド)が手に負えなくなると、これまでの支配者はディープステートに泣きつき、国家主権を手放します。

「女教皇」の経路を失った「月」(イエソド)を「一般大衆」として統治するのは、人工知能です。

巨大テック企業を旗手とするグローバリズムはこのようにして達成されて行きます。


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