LGBTQとわたし①
LGBTQ、という言葉も、あちこちでよく聞くようになりましたね。
かくいうわたしも、そのLGBTQに当てはまる人間だという自負?があります。
この話をする前に、そもそも
「わたしはLGBTです」「わたしはゲイです」
という宣言って必要なのか?そういう自分語りをするからこそ、
マイノリティがマイノリティたらしめているのではないか?という意見も
あるかとは思います。
ただ、私という「個」を自己表現するにあたり、
自分自身のセクシャリティというのは、すごく大きなウェイトを占めるのです。
人生観をすごく左右されたし、アイデンティティにも強く根付いていることです。
なので、この場では、少しづつですが、
私とLGBTQのお話をしていきたいなと思っています。
まず、私ですが、
現在はパンセクシュアルを自認しています。
パンセクシュアルとは、「好きになるに当たってセクシュアリティを条件としない」というセクシュアリティのことです。
バイセクシュアルとはどう違うの?と疑問に思うかもしれませんが、
まあ相手の性別を意識して好きなるかどうかの違いですかね。
振り返ってみると、私がこれまで好きになった人は、
(言葉選びがセンシティブなところがありますが、あえてわかりやすい表現を使いますね)
普通の男性の方、普通の女性らしい女性の方、Xジェンダーに近いセクシュアリティの女性の方、などなど、、、
色々な方と出会って、お付き合いもしてきました。
そこには性別というものが確かに存在はしていますが、私にとってはあまり重要な要素ではありませんでした。
その人の表情や仕草、考え方、言葉遣い、信念、いろんなものに心惹かれて、
セクシュアリティの壁なんてどうでも良い、ただ好きという思いを大切にできればそれで良い、
セックスも極端に言えばいらない。
そういう気持ちがとても強かったように思います。
その一方で、自分は普通ではない、普通の人生は送れない、普通の幸せは手に入らない、
そんな思いも強くありました。
それは今でもあります。多分、ある種呪縛のように、ずっと私の人生に絡みついていく感覚だと思います。
その気持ちを付き合っていくことに、ドッと疲れを感じる時もあります。
もうやめてぇな、全部捨ててしまいたいな、
そんな風に何度も思いました。
その度にいろんな人に連れ戻してもらっているわけですが・・・
何度も挫け、何度も連れ戻され、挫け、戻って、そんな繰り返しの中で、
自分を隠して生きていくのは、もう嫌だな、
もうありのままで生きていきたいな、そんな風に今は思うようになりました。
現状、職場や家族に、大っぴらにはカミングアウトしていませんが、
次に付き合う人がどんな人であれ、堂々と紹介したいと今は思っています。
それから、これから先の世代の子どもたちが、自由なセクシュアリティを持って生きていけるよう、
私も微力ながら、やれることをやりたいなと思っています。
具体的なことはまだ考えていませんが、そういう活動もして行けたら良いな、と。
話が全然纏まりませんでしたが、第一回目はこの辺りで。
次回はもう少し詳しくLGBTQの紹介をしたいなと思っていますが、
知りたいこととか聞きたいことがあれば、コメントください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?