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INTERSTELLARってタイトルがもう好き

と言うわけで、一週間ぶりにインターステラーを映画館で観てきました。

ちょっと前に自宅で1回、先日劇場再公開始まってから1回、そして今日1回、計3回目の鑑賞でした。

1回目はひたすらその世界観の壮大さに圧倒され、あれこれと考察をし、

2回目はストーリー構成の緻密さに感動して、

3回目は根底にある愛の物語にひたすら号泣でした。

エンドロール終わってもずっと泣いてた3回目(笑)

*以下ネタバレ注意

五次元の世界

インターステラーはなんと言ってもラスト付近の五次元世界にまずは圧倒されますよね。

脳がついていかない。考えるな、感じろ!って思いながら私なんぞは観ていました。

物理学を学んでいる人はもっと違うことを感じるんでしょうか?

重力は時間を超える、と言う言葉にただただロマンを感じるだけの文系人間です。

ただ映像としての表現方法は本当にすごいなと思いました(語彙力不足)

緻密なストーリー構成

2回目観た時に思いましたが、無駄なシーンが本当に一つもない。

全てのシーンが伏線で在り、全てがつながって意味を成していく。

何気ない会話やセリフの中にヒントが散らばっており、何度見ても新しい発見がある作品だなと思います。

愛は観測できるのか?

3回目に見た時に、途中から本当にずっと涙止まらなくなってしまって、

いや厳密に言えばずっとってわけじゃありませんが、でもずっと心に迫るものがありましたね。

基本的には父と娘の親子の愛なわけで、個人的にはあまり親子の愛ってピンと来ないタイプだと思っているんですが・・・特に父と娘だと余計に。


途中から登場するマン博士、1回目も2回目も、ただただ可哀想な人だなと言う感想を抱いてましたが、

3度目の時、この人は一方的な愛しかなかったのだなと思い至って。

彼の人類を救いたいと言う気持ちは本物だったと思うんですよね。だからこそ狂ってしまった。

いわば人類全体への愛。それが間違いだとも思わないし、そういう愛を持てる人はすごいなって素直に思います。

でも、ああやって孤独と絶望に追い詰められた時、その人を支えるものは多分そういう大きな愛ではなく、家族や個人へ向けられた、小さくても唯一無二の愛なのかなって。

クーパーとマン博士の対比が3度目はなんか際立ちましたね。

まあもちろんマン博士の正義は英雄願望みたいなところから来ている自己陶酔だという見方もできると思いますが、

個人的にはそう思えなかったので・・・。


愛は数値化できる、観測ができる、というこの映画で出てくるワードの意味合いからはずれるかもしれませんが、

まあでも愛は目に見えるものかもしれないなと観ながら思いました。

自分勝手だったり一方的だったり、相手の感じ方がわからない以上、愛だなんて軽々しく口にはとても出来ないでしょって私は思いますが、

遠く宇宙の果てで数十年のすれ違いに涙したり、虚空へ消えていくメッセージに絶望したり、時を超えて約束を守って再会できたり、そんな姿に心打たれて涙を流したのは、それが愛だと感じたからです。

私は愛を観測しているのだな、と。


非現実的とリアリティを合わせ持った不思議な世界観でありながら、その根底にあるものは人間の心を突き刺してくる愛のあり方である、

INTERSTELLARという映画は何度見ても新しい発見と気づきがある、そして何よりも愛というものを考えさせられる、素晴らしい映画だと改めて思いました。

ぜひ色んな人に、何度も見てもらいたいですね。





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