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帰りの電車


いつもより少し早めにバイトが終わった。

バイト先から駅まで、「今日の夕飯は何にしようかな〜たまにはマックとかケンタッキーでも?」といった感じで少しウキウキしながら歩く。

駅のホームには珍しく人が溢れかえり、今到着した電車を待つ行列だらけ。一本遅らそうかな、と思ったけど、難なく乗れてホッと一安心した。

わたしの目の前には、仕事帰りで疲れたサラリーマンの背中が立ち並ぶ姿。そして、斜め横にいる女性は、ひしめき合う車両のなかでスマホの画面を覗かれないか気にしているようだ。眉間にシワを寄せている。

一日の疲れと相まって、この雰囲気に耐えられなくなりわたしはため息をつく。

そのとき、アナウンスが流れた。

お忙しいなかお疲れのなか、お待たせしてしまって申し訳ありません。本日、東武東上線の〇〇駅にて人身事故があり30分ほど遅れて出発します。…

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そういえば、偶然にも他の線で起きた人身事故のgoogleニュースがスマホの画面にあがってきていた。駅員さんがどのように遺体の始末をしているのか気になって検索したのがつい先週のことだ。

だから、悲惨な現場を片付ける役割になってしまっている駅員さんのことを考えると心が痛い。"申し訳ありません"というアナウンスは不自然に感じた。

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たった数十分の間で、何もなかったように綺麗に線路は洗浄され、電車はまたいつもの通り動き出す。

人身事故と言うけれど、自ら人生を終わりにしようとして線路に飛び込んで轢かれてしまった人がいる。わかっているけど、自殺、ということなんだよな。この世から消えたい、そう本気で思い実行に移した人がいることを今日みたいなことが起こる度に考えてしまう。

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電車から降りて、息苦しさから開放された。ホームにわーっと人が流れた。

駅の近くのラーメン屋に入ったのは久しぶりだ。
思っていたよりお腹が減っていたようで、マックやケンタッキーを食べたいと思っていたことをすっかり忘れていた。頼んだ野菜味噌ラーメンは安定のうまさだった。

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それにしても、自分を見失わないように生きるって難しいと思う。まだ25歳で、社会人としては未熟だからわかったようなことは言えないけど、「大人になるって思っていたより世知辛いなあ」って感じることがある。

ちまたで有名な、「やりたいことに向かって!夢に向かって!」と生きることはなかなか大変かもしれない。一日一日、ちゃんと通学や出勤をして無事に家に帰ること、大袈裟だけど、この社会で生き延びることに精一杯な気がする。

人身事故が起きない社会、起こさない社会になって欲しい。多くの人が、学校や仕事帰りのときに「今日も楽しい一日だった!」と電車に揺られながら思えるような日々を過ごせたらいいなあ、と思う。














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