善人のフリをした狩人~植えこまれた悪意~
どーも、どーも。闇属性作家の紫藤咲です、こんにちは!
またしてもタイトルが病んでてすみません! 前回、スピリチュアルな話をしたときに『だまされた経験が多いよ』と言ったと思うんですが、私が覚えている中でもかなりダークな存在だったと今振り返って思う人物について、今日はスポットを当てていきたいと思います。
★善人のフリをした狩人とは?
まずタイトルにした『善人のフリをした狩人』とはなんなのか。ここですよね? みなさんにも心当たりがあるのではないでしょうか。『すごくいい人』と周りの評価も高いのに、どういうわけか目に見えない攻撃をされているような気がしてならない人――のことです。もっと簡単に言えば『ヒツジの皮を被ったオオカミ』です。これ、ジョージ・サイモン先生著の『他人を支配したがる人たち』という本の中でもこのように表現されています。これ以上の言葉はない! と思えるほど端的に表された言葉だと思います。
そして私たちの周りにはこういう人がすごく多いのではないかと私は考えています。なぜなら、悪意を全面に押し出して『お前嫌いだ! ぶっ飛ばしてえ!』という人と遭遇するほうが圧倒的に少ないからです。逆に言えば、悪意を押し殺しながら傍にいる人のほうが当たる可能性が高いってことですね。ガチャにして考えると、そんな人を引き当てるほうが高いというのだから怖くてたまりません。
では私はどんなオオカミと遭遇したのでしょうか? それを漫画で追っていきましょう!
そうです。小学校時代の担任がまさかの『狩人』だったのです! 今の世の中なら抹殺レベルなんでしょうが、昭和時代は『土下座』で済まされてしまいました。いやあ、怖い(笑)
この担任ですが、子供を洗脳するのは上手でした。先生という立場を利用して『教育』と称して生徒をコントロールするわけですからね。実際、相手はまだ思考力も高度ではない小学生。先生のマインドコントロールの高さは振り返ってもおそろしいものがありました。
ですが、そうはいうものの何人かはこのコントロールから外れる子がいるわけです。そのひとりが私でした。人といっしょのことをするのが嫌いであったこと、グループ活動が苦手だったこと、媚びを売ることが嫌だったことなどがコントロールを妨げた私自身の特性だったのでしょう。ですから、先生が笑いを取りに来て、クラス全員が笑う中、私ひとりは笑いませんでした。心の中では『まあまあじゃない?』なんて採点していましたけども(笑) そのたびに先生には『紫藤、もうちょっと笑えよ~』なんてつつかれたものでした。そういう積み重ねが先生の『イライラ』を募らせていったのは言うまでもありません。
★狩人の攻撃の仕方とは?
ここで漫画を読んだみなさんに少し考えていただきたいことがあります。
①先生はどんな意図で『土下座』という形で謝ったのか。 ②自分を陥れた相手への報復はどのようなものであったのか。
この二点です。
①先生はどんな意図で『土下座』という形で謝ったのか。
普通に考えれば『相手へ誠意を見せるため』です。しかし本当にそうでしょうか? 先生は言いました。『みんなにつらい思いをさせていたんだ。すまない』と。床に顔をこすりつけて、涙声でそう言いました。すると全員が先生の姿につられて泣きました。号泣している子もいます。声を押し殺して泣いている子もいます。先生にこんなことをさせた私たちってひどい人間なんだ――と植え付けるためにやったとは考えられないでしょうか? 事実、私は先生の姿を見ても1mmも心が動かされませんでした。むしろ自業自得ではないかと思いました。
だって教師としてはあるまじき行為を繰り返しているのです。スカートの中に手を入れるのは必要な行為ですか? 健康状態を知るためにお尻を触る必要性がありますか? 性教育は必要ですが、クラスの胸の大きな女子を名指しして『○○ちゃんと△△くんが交尾して』というような話に持っていく必要がありますか? 今であれば全力で「変態クズ教師」と責め立てられるのではないですか?
あまりにもバカバカしかったため、私は先生に『顔をあげてください』と言いました。私が涙ひとつこぼさずに冷静に言ったことで、先生は私を『犯人』だと認識したのだと思います。校長にまで知られました。減給もあったかもしれません。『自分を陥れた犯人』である私に対して、内心は並々ならない苛立ちを抱えていたに違いありません。このときは決して顔に出してはいませんでしたけれど……
こうして他の生徒に罪悪感を植え付けることに成功した先生は同時に犯人も見つけたことになります。次は報復です。自分がやられた以上に相手にもきっちりお仕置きせねばなりません。狩人は狩る立場であって、狩られる立場ではないのですから。
★生徒指導という名の報復
次に『②自分を陥れた相手への報復はどのようなものであったのか』を考察していきましょう。
犯人を見つけた先生は『指導』という名のもので報復をしました。クラスメートの前で私はひとり立たされました。そして『おまえはこういうところがダメだ』と言われ続けるのです。
つらかった。本当につらかったです。立ちながら泣きました。声を押し殺してうつむいて、こぶしを握り締めて泣きました。しんと静まり返る教室には先生が私を責める声だけが響いていました。でも誰もそれを攻撃とは受け取りません。そうです。先生は正しく生徒を導こうとしているだけなんです。ここが怖いのです。
そしてこれでは攻撃されたとは親に言えません。だって『指導』なんです。小学生の子供が先生にいじめられたと親に泣きついたとしても、話す内容は筋が通っているように聞こえます。実際に私は口も悪かったですし、クラスでいじめもありました。しかしこれは攻撃です。報復なのです。
なぜなら『公開処刑』をする必要がないからです。生徒の悪い点を他の生徒の前で指摘する必要がありますか? 本当に直してやりたいと思うなら、生徒に羞恥心を植え付ける必要があるでしょうか? ひっそりと職員室に呼んで、こういう点を一緒に改善していこうというのが本来、教師がとるべき行為ではないのでしょうか?
先生の言葉に私はひどく打ちのめされました。その結果、このようになりました。
卒業文集です。本来なら小学校での楽しい思い出や夢をつづるものだと思いますが、私はそれができなかった。先生の『悪意』を植え込まれた結果、私は大人になってもこの点を悩むようになっていくのでした。実は今回、この記事を書こうと決めるまでは文集を見ることもできずにいました。泣きながら書きました。苦しい思いが詰め込まれたものです。それを目の前にするだけで激しい動機がしました。手が震えました。しかし先生の正体を知った今はもう怖くなくなったのです。ただ、幼かった自分を思うと周りに気づいてくれた人がいたなら、これほどの長い年月苦しむことはなかっただろうに――とかわいそうにも思うのですけどね。
★まとめ
今回は私の過去の振り返りも含めてお話をさせていただきました。先生という信用される立場を利用してコントロールしてくるという話はめずらしくもなんともありません。あなたの信頼している友達や知人が実はあなたを操縦しようと罪悪感や羞恥心を植え込んでいる――なんてこともありうるのです。
ですが半面、気づきにくいのも事実です。『いい人のフリ』をされている以上、わからなくても仕方ありません。ただし、ひとつ覚えていてもらいたいのは『自分の直感を信じてほしい』ということです。
『あれ? なんかおかしぞ』という直感があなたに芽生えたら、なぜそう思ったのか、直感を深堀してください。きっと当たります。見えない攻撃を可視化できるチャンスはあなたの直感こそにあるのですから――
ついつい人を信じてしまう。人を疑えない。違和感はあるけど、攻撃されているなんて思えない――そんなあなたの疑問に答えが見つかるお手伝いができれば幸いです。
みなさんが『善人のフリをした狩人』のターゲットになっていませんことを心から祈って。
では、次回もお楽しみに~!
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