奥能登に笑顔の花が咲くのは何時か?
4月15日。日帰りで石川県輪島市を訪れました。これで能登7市町にはすべて行きました。出張で訪れた珠洲市、宿泊地の能登町、災害ボランティアで訪れた穴水町、七尾市、輪島市、道の駅で訪れた中能登町、志賀町。
これからしばらくは自分が住んでいる地域でのコミュニティ業務に追われることから、能登に遠征をすることができなくなります。ここで一旦、区切りを付けたく投稿することにしました。
4月15日。金沢駅から送迎バスにのり輪島市へ。いつもと同じように家具など大型消耗品をトラックに載せて集積場に捨てに行きます。
4月半ばです。日差しが照って気温が大幅に上昇し、半ば脱水症状になりました。名古屋に帰ってきてから数日の間、疲れが体から抜けませんでした。
消波ブロックの先に砂浜が続いている状態。陸地が非常に隆起したのが分かります。いくつもそんな景色を見てきました。疲れ果てた状態で名古屋に戻ってきました。
==(ここから先は考えた挙句に文体を変えて書きます。)=======
それにしても復興の進んでなさよ。水道は行政が頑張って日々、通水区間を伸ばし、断水が解消しつつある。それに比べ、倒壊家屋とひび割れ道路の放置。何とかならないのかな。これ輪島市だけの話ではないよ。
地震発生から既に3ヶ月半が経過。過去の阪神淡路、東日本に比べ、復旧が遅いこと。集落に人は戻らず、ひっそりとした中をボランティアがゴミを片づけ、行政が被災住宅の調査に入っている。一言で地域に活気がない。
そして災害ボランティアが集まらなくなりつつある。初期の頃は募集からわずか7分で募集が埋まっていた。微妙な言い方になるが、それだけ世間の関心が高かった。今は定員を満たさなくなりつつある。ボランティアが集まらないとよく言われるが、ボランティアのせいではないよ。今回、平日だったことも有るが、輪島に集まったボランティアは全部で12人のみ。これから5月大型連休があるものの暑い時期の肉体労働は困難を極める。数日は疲れが取れない。こんな重労働に対する参加率をボランティアに押し付けるつもりかい?
倒壊家屋の撤去や道路の整備はこれからだ。せめて、各地方自治体の土木や住宅建築の部署は職員を大量に派遣してほしい。施工業者も連れて。このまま続くインフラ再生亡きまちづくりでは活気がなくなってしまい、本当に住めない集落になってしまう。
今回の輪島遠征。往路は高速深夜バスで、復路は敦賀まで北陸新幹線に乗って帰ってきた。金沢から新幹線に乗る際、少し心残りがある状態だった。
すぐ先には大型連休が待ち受ける。学生も時間が取れることだろう。これからの進捗に最後の望みを託す。
奥能登地域はただでさえ人口が減少し、現役世代は輪をかけて少なくなり過疎化しつつある。そして一部には災害を契機として過疎化した地方を切り捨てる議論もある。次々と地方を切り捨てた先に日本はどうなるのか?都心部だけで生き残ることが出来ない世界が待ち受けていると思う。一極集中やモノカルチャーは脆弱性を露呈すると高校地理で習ったはずだ。ポートフォリオという考え方は非常に重要であり、都心部だけの生き残り策はうまくはいかない。
中日新聞の記事。民家敷地内の漏水修理を進めるため、工事業者が応援に入っている様子。遠方からの出張に対して国からの支援を求めている。このような枠組みがあれば、復興も進んでいくだろう。今、地域住民の需要があるのだ。やらない手はないだろう。旅割とか明後日な方向の補助に公費を出すのであれば、是非取り組んでほしい。
輪島を離れる時に満開の桜を見た。完全な復旧でなく、規模縮小であっても被災住民が腑に落ちる復興ができてこそ、笑顔の花が咲き誇る日が来るのだと思う。被災地の復旧を推し進めるときは今しかない。
復興が進み一息つける日が来ることを願って活動にピリオドを打つことにした。
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