活動論 理念と行動指針を考える
これまでに青年会議所活動や学童保育など様々な市民活動を経験してきました。これまでの経験を通じて感じたこととして、活動に必要な理念や行動指針について私見を書いていきます。
(定義の説明)
団体として活動する場合は活動に対する理念があります。青年会議所では『明るい豊かな社会』の理想を実現することです。私が活動していた当時はJC宣言や綱領でそのことを謳っていました。
学童保育でも児童福祉法第6条の3第2項にあるように「保護者が労働等により昼間家庭にいない小学校児童が健やかに育成されること」が理念として掲げられ活動や行事は保護者会を通して展開されます。また各団体には理念にもとづいた規則もあります。
運動を確実に実施していくには全体的な理念、規則とは別に行動指針が必要になります。代表者の所信なり業務を所感するグループの要領・取り決めが該当します。青年会議所では理事会に諮ることで各年度の行動指針となる理事長所信や委員会方針(要領)が決められます。それを基に事業を実施するグループが様々な事業を(まつりや子ども企画)を実施します。
学童保育でも父母会長所信を示し、支援員や父母会総会を通じて保育方針についての議論が行われます。子どもたちの健全な育成を実行するための差配が決められキャンプとかもちつきとか子どもたちに経験させることができ、おまつりバザーなども収益を上げています。しっかりした行動指針が定まってそれが全体に広く浸透しているからです。
(行政との連携)
理念や行動指針がしっかりと定められ長年しっかり活動することにより行政との連携が円滑になります。青年会議所でも学童保育でも自治体首長(市長)や公職者との懇親懇談会を行ったり、行政との連携も様々な場面で力を発揮しました。
(問題提起)
市民活動が狙いとしている課題は無数にあり、その課題解決と運動の発展に向けてそれぞれ活動を行っているところです。理念はよくてもそれを都合よく理解し、独善的な行動指針を定めるがゆえに手法に疑問を呈さざるを得ない状況も見受けられます。
(課題を残す事例)
数年前に学生グループが平和について特定の主張を掲げ、フェスと呼ばれるイベント形式で活動を展開しました。記憶にある方が多いと思います。現在では組織は解散し運動も下火になり後継となる活動はあまり取り上げられないのが現状です。
都心部では先鋭的な主張を拡声器で展開する団体の活動動画をよく見かけます。聴衆は止まることなく素通りし支持を集めているとは到底思えません。これらの団体が仕掛ける強烈な行動には違和感を感じるものもあります。昨今はSNSでハッシュタグを使い、炎上させる勢いで先鋭的な主張を通そうとする光景をよく見かけます。一時的には見栄えのいいこと言えば物事が進んだように見えるかもしれません。しかし根本は何もかわらず時間が経てば組織は維持できず全体的な広がりは欠くと思います。
この記事を書き進めているさなか騒がれている「ねこホーダイ」では擁護派と批判派が激しくやり合っている事態になっています。どちらも良い点悪い点ありますので、制度の是非はここでは取り上げませんが、どちらか一方を叩き潰さなければという事態が発生している時点で行動指針の設計がうまく言っていない事例と言えます。制度を改良して再開されることを望みます。
個人的な体験になってしまいますが、「子どものために活動する」とある活動団体の中間組織的な活動に参加したことがあります。経済的に困難を抱える児童生徒に対する食支援という理念はよくても自分たちのやりたいことを優先させ、末端組織の意向を組みしない議論が当時行われていました。活動資金、提供物資の配分や行事の参加要請に関する考え方に賛同できず活動を撤退したことがあります。
(理念に基づく行動指針の在り方について)
活動するうえで行動指針は広い支持を得る必要があります。地域団体や活動が既に広く浸透した団体では大幅に改定されることは稀です。大抵前年踏襲となります。コロナ禍では活動自粛など混乱回避に方針が取られました。
活動を新規に展開する場合は行動指針を丁寧に定めていく必要があります。この場合、先導者の想いとは多少ずれていく可能性もあります。
方や先鋭的に課題を解決したい思いもあるでしょう。柔和忍辱の姿勢で地道に話し合いを重ね幾重にも理解を得ることが必要です。意にそぐわないものを糾弾する独善的な進め方は先に示した通り広がりを欠くことになります。
総括になりますが、華々しい理念とは別に示される行動指針には映えることのない地味な取り組みが求められます。それを続けるのは並大抵では済まない労力が求められます。市民運動の難しさがそこにあります。
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