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【エッセイ】ひとりで飲めるひと、飲めないひと

たまには仕事っぽくない文章も書いてみよう、ということで、1週間エッセイ強化期間です。Twitter (X)の投票機能により、お題は「お酒について」に決まりました。お酒についてですが、あくまでエッセイですので、とてもパーソナルな文章になります。悪しからず。

「みんなで飲むお酒のほうがおいしい」という意見に賛成できなかった。コロナ禍で、飲み会が制限されていたときによく聞いた。

お酒を飲むのに、「誰かに誘われて」というモチベーションのひとは少なくないのだろう。ふと、飲み会の機会がなくなれば、飲まなくなる。みんなが飲むから飲んでいただけで、ひとりで飲むのは味気がない。想像はつく。

少し、言葉の話をする。「みんなで飲むお酒[は]おいしい」なら、理解できる。でも、ひとりで飲むよりも、誰かと飲むお酒の[ほうが]おいしく感じられる、と比較級で語るのは首肯し難い。

ロックダウンするアメリカで、ひとりぼっちで毎晩お酒を飲んでいたからむきになっている、というのもひとつ、あるだろう。もっとも、向こうに友だちが少なく、アメリカの物価の高さでは外食もできなかったので、コロナ禍の前からほとんどぼっち飲みばかりしていたのだが。

それよりも、人と一緒にいると、お酒の味に集中できないことが多い、というのが大きい。後述するが、互いにお酒好きで、このお酒はこんな味がするね、と語り合いながら飲める相手は、なるほどお酒をさらにおいしくしてくれる。
しかし人数が増えるほど、味に集中できなくなってしまうし、話題も入り乱れ、あちこちに気も遣うので、たとえそのときは味を認識できていても、後から忘れてしまうことが多い。

それはわたしが人といるときのほうが量を飲むからというのもあるだろう。「みんなといるほうがたくさん飲める」には、賛成する。

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「そのほうがおいしいか」問題はさておき、誰かとお酒を飲むことは楽しい。先に言った「後述」がここである。

お酒を飲むときにどんな話をするのか、と聞かれると、親友や飲み友達と呼べるようなひととは、そのとき飲んでいるもの、食べているものについて延々と話してしまう。それまで会話をしていても、「待って、これおいしい」と中断してさえ違和感がないのが、飲み仲間というひとたちだ。

そういうひとたちとの酒席は、ひとりで飲んでいるときとはまた違った想像力を与えてくれる。相手の感想と自分の感想がグルーヴしていき、嗅覚や味覚を超えた高揚感をもたらす。

より多い人数の飲み会は、個人的にはあまり得意でないが、それにもまた楽しさはある。それは味よりも、酔うことの楽しさだろう。

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しかし、ひとりで飲むこともまた楽しいのだ。孤独を癒やす目的に限らず、味わいの解像度が高くなり、それまで気づかなかったそのお酒の一面を見つけることができるのは、ひとりのときだ。

賑やかに飲まなくてもおいしく飲めるのには、お酒や料理に関して、官能を雰囲気に左右されづらいというわたし自身の性質もあるかもしれない。ずっと昔、付き合っていた男性と、辛く気が重たくなるような話をしながら、「それはそうとこの料理はマジで美味いな」と食べ進めていたこともある。

さながらサイコパスだが、それは食と酒にのみ機能するサイコパスであって、神経そのものが鈍いわけではない。おいしいものは、身体機能の鈍っていない限りはいつなんどき口にしてもおいしい。向き合って言語化するには、ひとりのほうが向いている、という話である。

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しかし、酒場にひとりで飲みにゆけるようになるのは遅かった。20代の前半からひとり旅をよくしていたが(旅をするのもひとりがよい)、酒場に入るのは気が引けて、たいていその地域の誰かを誘った。

ひとりで飲むしかないときは滅多に吸わない煙草を買った。そのほうが格好がつく気がして落ち着いた。

平気でひとり飲みをするようになったのは、仲のよい店主のいる店ができてからだ。行きつけの店の店主と、とっておきのお酒を飲みながら解説を聞かせてもらうのも、その場しのぎのお酒を飲みながらよもやま話をするのも、酒肴のひとつである。

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そして孤独と寄り添うのもまた、お酒である。

ロサンゼルスの大学に通っていたころ、未成年も住んでいる寮では酒類の持ち込みが禁じられていて、街までひとり歩いてようやくありついた一杯4ドルのIPAに、これはカリフォルニアの気候で飲むとこんなに美味いのかと目が覚めた。

サンフランシスコには限られた友人しかいなかったが、酒場には居場所があった。アジア人の、つたない英語をしゃべる独り身の女性であっても、お酒を飲めるということ、お酒に金を払えるということは、ひとつの地位を与えてくれた。

サンフランシスコにいるころは、たいていTrader Joe'sでバラ売りのクラフトビールを買って自室で飲み比べ、そのあとはウイスキーをロックにして飲んでいた。日本酒は高級品で滅多に手に入らなかったが、True Sakeで働くようになってからは安く購入できるようになり、それでも日本よりはずっと高いそれを大事に飲んだ。

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ひとりでいるときにお酒を飲むと、不思議と誰かといるような気持ちになる。お酒は人間とそうでないものの中間のような存在だとつくづく思う。こちらが頼ると彼らは優しく、こちらが甘えると厳しくしてよこす。わたしたちが誰かといるときは、しおらしく身を潜めているが、彼らは確かに息づいている。

ひとりで日本酒を飲むと、ゆらゆらと酩酊の中に降りてゆくときに、海に沈んでゆくような心地がして安らぐのが、サンフランシスコにいるときはことさら好きだった。物理的に呼吸がしづらくなっているのかもしれない。そうしていつも、故郷とアメリカをつなぐ海を思った。この感覚は、ひとりでなければ感じ取ることはできない。

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