日本酒のおいしさ 6 吟醸酒・樽酒・古酒のおいしさ

吟醸酒のおいしさ

吟醸酒は今では一般的になったが、30年ほど前まではほとんど市販されず技術を競う鑑評会のためだけに造られてきた。吟醸香と呼ばれるフルーティな香り、淡麗な味の追求が、原料米の中心部のみを使用し低温発酵する吟醸造りを生み、高度精白が可能な精米機、香気成分であるエステルを高生産する酵母などの技術開発を促した。これらの技術は吟醸酒ばかりではなく、純米酒等の製造にも活用され品質が著しく向上した。
吟醸酒のおいしさは、吟醸香と呼ばれる酢酸イソアミル(バナナ様)、カプロン酸エチル(熟れたりんご様)などのエステルに由来する香りにある。近年、高エステル生産酵母により吟醸香を出すこと自体は難しくなくなった。しかし、エステルが多すぎると華やかだがたくさん飲むには適さない、また少なすぎるともの足りないので、酒質設計が重要になっている。
一方で吟醸酒には、なめらかさや後味の良さが要求される。吟醸酒の喉越しの美味しさについては、新潟大学の北川博士らが、ラットの咽頭に大吟醸酒を滴下し神経の応答を測定した研究*がある。大吟醸酒で刺激した直後には大きな応答があるが、その応答は、水で刺激した際と比べて急速に減少し、さらには刺激前の神経活動の大きさよりも小さくなることを報告している。おいしさを感じた瞬間に喉から感覚が消えてしまう酒といえる。

* 北川純一他: 喉越しの美味しさ(<特集>酒類のおいしさ-香りと味 2), https://www.jstage.jst.go.jp/article/tasteandsmell/7/2/7_KJ00001494161/_article/-char/ja/

樽酒のおいしさ

大正末期に一升びんが多く使われるようになるまで清酒は杉樽で流通していた。樽は、樽自体の製造原価が高く、中味の清酒が醸造者元詰であることが保証できない、近代的な物流に適合しにくい、一方、びんは熱殺菌も容易であるなどの理由でびん詰に変っていった。しかし、今でも東京の蕎麦屋の清酒といえば樽酒が定番であり、鏡開きなどを含め樽酒には根強い人気がある。
樽酒のおいしさの第一は香りのおいしさであろう。樽酒の香りは、杉樽から抽出されるカジネン、セドロール、オイデスモールなどのセスキテルペン類に由来している*。このうちセドロールにはリラックス効果があることが報告されている。また、オイデスモールは漢方薬中の薬効成分のひとつであり、樽酒の燗酒を楽しむことは、一種のアロマテラピーといえるかもしれない。

*松永恒司: 樽酒中の成分の同定とその健康増進効果, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/97/11/97_11_744/_article/-char/ja

古酒のおいしさ

近年の清酒の多様化の動きのなかで、10年、20年と貯蔵した古酒が市場に出回るようになってきた。一般的に、清酒を造った年に出荷されたものは「新酒」、次の年度中に出荷されたものが「古酒」、さらに次の年度以降に出荷されたものが「大古酒」と呼ばれる。熟成酒を製造する蔵元のグループ「長期熟成酒研究会」では「満3年以上蔵元で熟成させた、糖類添加酒を除く清酒」を「熟成古酒」としている。熟成古酒の一般的な特徴は、外見は黄色から茶褐色。香りはエステルに由来する吟醸香などは少なく、カラメル様(蜂蜜、ドライフルーツ、糖蜜、醤油)の甘く焦げた香り、木の実やスパイスを連想する香りが感じられる。また、味は苦味が強く後味の余韻が長く残る。
カラメル様の香りを呈する物質はソトロンである。ソトロンの清酒中の検知閾値は2.3 μg/Lと大変低く、また、長期間熟成したシェリー酒やポートワインにも含まれている。(独)酒類総合研究所の貯蔵酒について分析を行ったところ、新酒では検出されず6年間貯蔵した清酒には人が感じられる閾値程度含まれており、20年以上貯蔵したものには閾値の10倍以上の量が含まれていた。

 古酒中の香気成分の濃度と閾値から考えると、古酒の香りの主要成分は、ソトロン、イソバレルアルデヒド、メチオナール、ベンズアルデヒド、ジメチルトリスルフィド(DMTS)であった。イソバレルアルデヒドは、含有量の多いものでは閾値の6倍あり古酒の木の実やスパイス様の香りの特徴と考えられる。DMTSは、単独ではたくあん漬け様の香りであまり好まれる香りではない。しかし、DMTSが存在する方が、香りの全体的な強度やソトロンの特徴であるカラメル様の焦げた香りを増強する傾向が認められた*。なお、ウイスキーにおいてもDMTSはボディ感や複雑さに寄与するとされている。

*磯谷敦子: 清酒の熟成に関与する香気成分およびその生成機構について(1)―清酒の古酒の香りと老香, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan/104/11/104_847/_article/-char/ja

また、清酒の貯蔵中に増加する苦味物質として、メチルチオアデノシン、環状ペプチドのL-プロリル-L-ロイシン、ハルマン等が同定されている*。苦味は通常の清酒では好ましいといわれることはないが、古酒では、心地よい苦味としておいしさのひとつと考えられている。

*高橋康次郎: 清酒の熟成ーその化学成分の変化. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1915/69/3/69_3_144/_article/-char/ja/

初出 醸界協力新聞 2013

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