第23回 500年の抑圧と闘ったラモーナ(メキシコ)
「私たちは、生まれた時から死んでいるのです」。
そう語るマヤ族の女性ラモーナにとって、抵抗運動への参加は生きるあかしだった。彼女は、今回のポスターにある「女性革命法」(1993)を起草した。居並ぶ女性たちの両側に、同法10カ条がスペイン語(左)と英語(右)で書かれている。
ラモーナは1959年、グアテマラに近いメキシコ南部チアパスのジャングルに生まれた。マヤ族は、メキシコの中でも最も貧しく最も搾取されてきた。とくに女性は、毎朝3時に起きて、他の全員が眠るまで働かされた。
ラモーナは、生きるために都会に出た。すると先住民であることで徹底してさげすまれた。3年もかけた芸術的作品の刺繍つきのブラウスは、ただ同然に買いたたかれた。
1994年、メキシコ政府はNAFTA(北米自由貿易協定)を発効した。アメリカのとうもろこしがメキシコに流れ込む。NAFTAはチアパスへの死刑宣告のようなものだった。農民たちは、ゲリラ組織「サパティスタ民族解放軍」を結成して抵抗した。メキシコ政府は圧倒的武力による大虐殺で応えた。
ラモーナの生まれ育った地域にはアルコール依存症の男性や暴力夫が多かった。女性が男性と話し合う慣習もなかった。でも彼女は粘り強く男性と対話し、民族解放軍を大きくした。ラモーナは司令官になった。
その活動で生み出されたのが10カ条の「サパティスタ女性革命法」だ。革命闘争に参画する権利、働きに見合った報酬を受ける権利、教育を受ける権利、子どもを何人産むかを決める権利、暴力を受けない権利、組織の指導者となれる権利……まっとうな要求ばかりだ。
「私たち女性は、ひどい搾取を受け、激しく抑圧されています。なぜこうなったかって? 女性たちは、500年も前から、意見を語ったり集会に参加したりする権利を持たなかったからです」。
ラモーナの夢は、先住民として尊敬されること。彼女は2006年、たたかい半ばにして命を落としたが、「サパティスタ民族解放軍」は、今日も、武力を使わず、政府との粘り強い交渉によって権利を要求し続けている。インターネットを巧みに使い、世界にその自治政府の姿を知らせている。「ラジオ・サパティスタ」によると、自警団、病院、学校、司法などを独自に機能させ、運営には女性が多数入っている。
1995年、国連世界女性会議で採択された北京行動綱領は、二重、三重の差別の中で生きる先住民女性の権利に初めて光をあてた。女性革命法から2年後のことだった。
(三井マリ子/「i女のしんぶん」2015年3月10日号)
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