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第80回 3月8日は闘う女性の記念日 (ドイツ)


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3月8日は国際女性デー。女性たちの闘いの歴史をふりかえり、女性であることを祝う日だ。

2年前の2018年、ドイツのベルリン市議会は3月8日を公休日と決めた。ちょうど100年前の1918年、ドイツの女性は参政権を獲得した。これにちなんで、ベルリン市議会与党の社会民主党、左派党、緑の党は祝日と定めたのだった。

そのいにしえのベルリンでつくられたのが、このポスターである(※注)。黒い服を着た裸足の女性が、真っ赤な旗を力いっぱい振って、女性参政権への闘いを呼びかける。

「女性デー。1914年3月8日。女たちに参政権をよこせ。(略)女性は労働者であり、母親であり、市民である。国や地方への納税者である。すべての女たち・働く女たちの基本的人権を求める決意はゆるがない。(略)女たちよ、少女たちよ、集まろう。1914年3月8日、日曜日、午後3時、第9女性議会に」

この歴史的ポスターは反政府的との烙印をおされ、街に貼りだされることはなかった。しかし4年後の1918年になって、第一次世界大戦で敗北したドイツの臨時政府は、女性への参政権を宣言。翌1919年、ワイマール共和国はこれを憲法に明記した。

ポスターに描かれた女性は、闘う女クララ・ツェトキン(Clara Zetkin、1857~1933)がモデルに違いない。クララはドレスデン近くの村に生まれた。ビスマルク政権の弾圧を逃れてスイスやフランスに亡命。帰国後、35歳で社会民主党SPDの女性紙『平等』の編集にらつ腕を振るう。1907年、同志たちと第1回社会主義女性大会を立ち上げる。

3年後、デンマークでの第2回大会で「国際女性デー」を提唱。翌1911年3月、世界初の「国際女性デー」には、オーストリア、デンマーク、ドイツ、スイスを中心に、100万人以上がデモに集まった。

その後、反戦思想からたびたび逮捕された。1919年、ワイマール共和国下の新共産党に参加。1920年から33年まで国会議員。1933年、ヒトラー政権によって共産党が非合法化されたためソ連に亡命。同年客死。

こんな社会主義カラーのためだろう。日本政府は、性差別に憤る女たちの「国際女性デー」に冷たかった。

しかし1975年、国連が3月8日を国際女性デーと制定してからは変化が…。最近では、官庁主導で「幸せな女性たちの祭り」と命名した、やけに明るく退屈なメッセージが出回っている。

(三井マリ子/「i女のしんぶん」2020年3月10日号)

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