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幸福の国デンマークに住んで

 デンマークに引っ越して1年が経った。最近はいろんな人に「いつ帰るの?」「いつ帰ってくるの?」と尋ねられ、その度に「わからん」と答えている。

 東京に生まれ、30年ずっと実家で過ごしてきた。
 心地よさを感じると同時に、ずっと自分の居場所だという気がしなかった。どこにいたら息を吸えるようになるんだろうと終電の中央線で窓に映る自分の顔に独り言ち、30年変わらない実家の琺瑯の浴槽にゆらゆら沈み、20年ものの無印良品の幅90cmのベッドでたまの休みに惰眠を貪る日々を過ごした。このままぬるま湯に浸かりながら死んで行くのか、と思うといてもたってもいられず、日本を飛び出したのが1年ちょい前。日本で職種を変えて就活したり、独立したり、家を出ることで環境を変える選択肢もあったけれど、海外に行く方がいろんなしがらみがなくて、頭空っぽにできて気が楽だった。
 一年経って、胸元まで上がって来ていた正体不明の30年分の重ったるい水は、日によって下がったり顎の辺りまで上がったりを繰り返している。

 異国に自分の居場所があると思って来たわけではないけれど、人間っていうのはどこまでも個体でしかないのだなあと、この国ではますます強く思う。30年生きて来た土地で見つからなかったものが、地球の真裏で1年そこそこで見つかるわけがなかった。実家で暮らすことで、いつも人生の最大の味方である「両親」という存在が、無意識のうちに自分のことをすごく助けてくれていたんだと気づいた。それはご飯作ってくれるとかそういうことではなく、ここにいて良いよって思わせてくれる、よく言えば暖かなスープを、悪く言えばぬるま湯を提供してくれていたんだということ。呆れるほどに今更ながらだが。

 デンマーク人がなぜ幸福だと言われているのか、いまだによくわからないところが多い。けれど親しくなった相手とはとことん付き合っている感じがする。街がコンパクトだからすぐにハングアウトできるし、授業後、終業後に十分その時間もある。以前は特別なとき以外外食を好まなかったらしいが、ここ10年くらいで外食産業も変化を見せていると聞く。特に週末は街にはカップルや子連れの家族が溢れていて、(1人でカフェに行くことが憚られる程度に)健全な人間のあり方だなと思うと同時に、この寒くて暗い国で誰かの存在を感じずに生きて行くことは難しいのだろうなと思う。日本にいた時は、服装に気を使う反面、1人でいることをさほど気にしなかったが、こちらにきて、化粧や髪型のラフさ(作られたラフかもしれないが)を感じる一方、1人でいることを更に気にするようになってしまった。ただ統計によるとデンマークは世界一単身者世帯が多い(40%越)らしいので、デンマーク国旗と同じ形をした窓の裏に、見えないお一人様がたくさん潜んでいるのかもしれない。

 当たり前のことだが、世界一幸福の国(らしい)デンマークに来たからといって、自分が幸せになれるわけではない。秘訣を知ったからって実行できるとも限らない(例えば充実の社会保障が理由ならば、短期できているよそ者にはほぼ縁がない)し、そもそも30年培って来た価値観はそう簡単には変わらない。ただ、今更思い知ったことは「自分の幸せがなんであるか?」が分からないということだった。悲しいことだが、考えたことがなかったのだ。
 「パートナーを持つ」「子供をもつ」(これは正直ほぼ願望がないが可能性として)という、自分にとって一番想像ができないけれど、これがないから私は満たされないのではないか?と漠然と羨んできた事柄が、もしかしたら私にとっての幸せのtipsではないかもしれないのだ。昨今、日本でもようやく男女平等が叫ばれるようになり、やれ女性軽視だ価値観が古いだなんだという意見をよく見かける。北欧はとくに男女平等の価値観が根付いているから、日本のSNSの投稿を面白おかしく読むことも多いが、一方で私もまだ大概古い価値観を持っていると気づかされる。それでも「自分を無条件に愛して、安心させてくれる誰か」「この人のために何かしてあげたいと思う誰か」の存在は、きっと人生を有意義なものに彩るのだろうと思う。少なくとも今よりは。でも仮にそれが目の前に現れた時に「何か違う、息苦しい」と感じてしまったらどうしたらいいのだろう。

 これからこの国は寒く、暗い季節に向かって行く。数週間前から雨が多くなり、日に日に冬を足音を感じるようになって来た。いつまで滞在できるか分からないが、この幸せの国で自分なりの「幸せ」がなんなのか、もう少し必死に考える必要がありそうだ。正体不明の泥水に、飲み込まれる前に。

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