映画「ミセス・ノイズィ」雑感

(注)この記事は結末には言及しませんが,若干のネタバレを含みます。内容を知りたくない方は,映画をご覧になってからお読みになることをお勧めします。
 あ,それと,虫嫌いの人はちょっと気を付けて鑑賞した方がいいかもしれません。

 先日,映画「ミセス・ノイズィ」を鑑賞した。

 大体の物語のあらすじを述べると,「夫と娘一人とともに団地の一室に引っ越してきた吉岡真紀は,本業の小説家としての仕事でスランプを抱えていた。さらに,隣人である若田美和子の早朝から布団をたたく音に悩まされるように。最初はよくある隣人トラブルであったが,それが思わぬ方向へ発展してしまう…」といったところ。
 十数年前に実際にあった「騒音おばさん事件」が物語の一つのモチーフになっているが,これはあくまで舞台設定の一つであり,物語の本質ではない(ちなみに,この騒音おばさん事件が海外で報道された際,騒音おばさんが「Mrs.Noisy」と呼ばれており,これが映画のタイトルの由来にもなっている。)。
 この映画のテーマは「ディスコミュニケーションの悲劇」「事実認定の難しさ」である。

 映画の序盤は,真紀の視点で物語が進行する。
 早朝から美和子の布団をたたく音をめぐって真紀と美和子がひと悶着起きる。さらにそのあと,真紀の娘である菜子が一時行方不明となり,真紀は夫に連絡したうえ警察にも通報するが,実際は美和子の家で数時間遊んだのち寝ていただけだったことが判明し,真紀と美和子の溝は余計に深まってしまう。ここでは,美和子は完全に悪者として描かれる。
 しかもそのあと菜子が真紀に対し,美和子の家にいる間どんなことをしていたかを話す中で「おじちゃん(美和子の夫である茂夫)とお風呂に入った」と告げ,真紀を激しく動揺させる。私もこのシーンを見たときは「すわ,児童ポルノか!?」と動揺してしまった。

 しかししばらくすると,今度は同じ出来事が美和子の視点から描かれる。それは,これまで映画を見て抱いていたイメージとは全く異なるものである。
 まずは美和子が早朝に布団をたたいていた理由について。美和子の夫である茂夫は自宅で病気療養中であるのだが,幻聴や幻覚に悩まされており,布団の中にたくさんの虫が進入してくるという厳格に悩まされていた。そんな茂夫の不安を少しでも取り除こうと,美和子は毎朝早朝に茂夫の目の前で布団をたたいて虫を払うさまを見せていたのであった。
 また,菜子が行方不明になった事件について。自宅で真紀が執筆に集中している間,菜子が団地の廊下の外壁にクレヨンで落書きをしていたところ,美和子に見とがめられ「よかったらうちで遊ばない?」と誘われる。それで菜子は美和子と茂夫の自宅でしばらく遊んだ後,三人とも寝入ってしまい,気づいた時には夜遅くなってしまった,というわけであった。またこのとき,菜子の顔もクレヨンで汚れていたため,茂夫が風呂場で菜子の顔をきれいに拭いてあげていたのである(もちろん,二人とも服を着ているので児童ポルノ云々の問題にはならない。私もほっと胸をなでおろした。)。

 事程左様に,事実というものはその視点によって見方はだいぶ変わってくるものである。私も職業柄,相談者や依頼者の話を聞く限りでは見通しはこうであるが,事態が進むにつれていろいろなことがわかってくるとその当初の見通しを修正しなくてはならなくなる,ということが稀ではない。
 それについて当事者間で十分な話し合いやすり合わせができていればいいのだが,それができないままであると分かり合えないままに事態が深刻さを増してしまう。
 なんだかまるで,アンジャッシュのかみ合わない会話のコントを見ているような気持ちになる(例の件で渡部氏はいろいろ大変なようであるが,禊が終わり次第,原点に返ってまたこのコントをやっていってほしいものである。)。隣人トラブルから国同士の戦争に至るまで,紛争というものは案外そういうものなのかもしれない。「共感できなくても,なんとか相手を理解しようとする」「意識的に引いた眼で事実をとらえ直し続ける」ことにしか紛争回避の道はないのかもしれない,などということをつらつらと考えた。

 さて,もちろん真紀もやられっぱなしではいられない。いとこである直哉のアドバイスで美和子との対決の模様を小説にして発表し始めたのである。さらに弁護士のアドバイスで証拠収集として録画していた映像を直哉がネット配信したことで大反響を巻き起こす。しかしこれが,後々とんでもない悲劇を巻き起こすことになる。二人の対決の結末は,是非劇場で見届けてもらいたい。

 主要人物以外で印象に残ったのが,藤丸千さん演じるキャバクラ嬢。直哉がお気に入りのキャバクラ嬢で,美和子との対決を記した真紀の小説と個人的つながりをネタに近づこうとする。しかしその狙いとは裏腹に,彼女はその小説を徹底的にこき下ろす。このシーンで私は爆笑してしまったのだが,後になって冷静に彼女のセリフを振り返ってみると,実は彼女は真紀と真紀の小説の問題点をズバリと言い当てているのだ,しかも真紀と直接会ってもいないのに,ということに気づいた。こんなところに重大な要素を仕込んでいたとは何とも心憎い脚本だと思った。彼女のセリフにも十分に注目してもらいたい。

 さらに,菜子役をやっている子役の新津ちせちゃん。パンフレットに書いてあったパプリカ(筒井康隆でなく,今敏でもなく,平沢進でもないほうの)で有名な「Foorin」のメンバーであるということは知っていたのだけど,まさか新海誠監督・女優の三坂知絵子さん(本作でも大家さんの役でご出演)ご夫妻のお嬢さんだったとは。めっちゃサラブレッドじゃないですかΣ(・ω・ノ)ノ

 ラジオで伊集院光さんと柴田理恵さんが激推ししていたことをきっかけにこの映画を知ったのだが,まさかここまで奥の深い作品とは思わなかった。
 是非劇場の大画面と充実した音響システムで,この作品を一人でも多くの人に堪能してほしいと思う。

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