「面倒くさい」というネガティブだけど便利な言葉

最近、「面倒くさい」と思うことが増えた。

何かををしたりどこかに出かけようと考えてはみるものの、「面倒くさいからやらなくていいや」といって結局何もしない。
こういうことがものすごく増えた。

このままじゃ良くないことは分かってはいる。同年代の人達が20代の前半~20代半ばで経験していることの多くを「面倒くさい」というだけの理由で経験値を獲得しないと、確実に将来の自分に返ってくる。
何なら、しわ寄せは既にやってきている。

数年前ではあるが、成人式に行かなかった。

別に、当時いじめられていたわけではなかったし、友達がいなかったわけでもない。(決して、多くはなかったが。。)
だけど、行かなかった。周りの人達には「何で行かないの?」と聞かれたが、その時には「面倒くさいから」と答えていた。

今、冷静に考えると「面倒くさい」というのは後付けで、本当のところは行くのが怖かったのだ。
バイト先の先輩や大学の同級生(浪人していて年は1つ上)から聞いていた話だと、成人式が終わった後に同窓会があって朝まで飲んでいたらしい。
でも、自分には同窓会をやる旨の連絡も出欠確認の連絡も来ていなかった。単に忘れられているだけなのか、あえて呼ばれていないのかは分からないが、どちらにしても当日行って自分の知らないところで同窓会が計画されていたことを知りたくなかった。急遽当日参加すると言えば、お店と調整しないといけない幹事にも手間をかけてしまう。
久しぶりに会うのに、気まずい感じになったり傷ついたりしたくなかったから行かなかった。

例えば、成人式あるあるみたいな話題になっても成人式に行っていないから、ついて行けない。そこでまた「何で行かなかったの?」と聞かれ、「面倒くさかったから」と答える。
実家を離れていてどうしても参加できない事情があったらそれを話せばいいが、ちゃんと実家にいた。

「面倒くさい」というのは便利な言葉だと思う。
自分が傷つきたくないからやらないのも、何となくやりたくないのも、全て「面倒くさいから」と言って片付いてしまう。「面倒くさい」と自分に言い聞かせて、その言葉に逃げてきた。
物心がついたときから色々なことから逃げ続けてきたから、自分には何もない。
結果はどうであれ、逃げずに立ち向かい、時には傷ついてそれでも這いつくばって生きてきた人が得たものを、自分は何一つ持っていない。

長年自分に染みついた「逃げ体質」は簡単には治らない。
もしかしたら一生治らないかもしれない。
自分について考えてみて、ダメなところばかりで嫌気がさして考えるのを止めたくなったけど、このnoteは書き切る。

ほんの少しだけでも成長したのかな。。

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