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116. 柴田敏雄 【写真】

noteのためにメモした一部が誤操作で消えてしまって、悲しみに打ちひしがれています……。恐らく書こうと思っていたのに忘れてしまったことも多々あるだろうと思いますが、今残っている範囲で書いていこうと思います。ああ、無念……。


柴田敏雄はダムなどの建造物と自然を組み合わせた写真を撮る写真家です。
10日までアーティゾン美術館にて展覧会を開催していて、気付くのが遅くて行かれなかったのですが、代わりに図書館にて写真集を読んできました。

画面に人間や動物はおらず、注意深く構成された写真は、いわゆる建築写真というのとは違うし(人間のための建造物ではあるが、山奥などにあり、直接的に人間の生活に関わっているわけえはない。見られることも意識されていない)、風光明媚な風景写真というのとももちろん違います。

このことに対して、「日本典型」に解説を寄せている、ジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館の館長(確か)は”人間の開発によって自然破壊が進んでいることへの警鐘だ”と解釈しており、一般的な見方も概ねそのようです。
また、「ランドスケープ」に解説を載せている東京都写真美術館の学芸員は”意匠にこだわっているわけでもなんでもない、ありふれたコンクリートをわざわざ撮るのはなぜだろう”と疑問を抱いています。

しかし、私の目には画面構成の美しいデザイン的な写真と映ります。相反する物質である自然と人工物が絶妙なバランスで配置され、一つの光景を作り出す。
確かに自然は歪められているけれど、それでも人間の力なんて大したことないような、寧ろ自然がこちらへ迫ってくる感じを受けます。
街なんかを歩いていると、多少樹木があろうとすべて人工物に囲まれているような気持ち悪さを感じるのですが、これらの写真の中では自然のパワーが圧倒的です。人工物は死んでいて、その下や四方から自然が押し寄せるような。

柴田本人は写真の中で、「人間の営みが風景をいかに変容させていくか」という現実を中立的な立場で写しているだけで、擁護も否定もしていません。どういう意図で撮ったとか、写真外で語ることもなく、受け止め方は鑑賞者に委ねられています。都写美の学芸員はこうコメントしています。

この写真が写しとっている起きた現実を歴史がどう判断するのか、その答は長い時間をかけた視野で判断してもらうしかないのだ。


柴田の写真が纏う独特の雰囲気は、その画面構成の仕方や技術的な面に由来しています。
つまり、大判カメラによる隅々までピントの合った画面であること。地平線や空がほとんど写っていないこと。タイトルは地名や建造物の名前であること。
これらは、解説を読むまでそうと気付かなかったものもあるのですが、情緒的にならないようにという意図によって定められた、柴田写真の法則です。


柴田は元々画家志望だったところひょんなことからベルギーで写真を勉強することになりました。それで被写体もヨーロッパの自然ですし、最初は西洋的な手法で撮影していましたが、日本に帰ってきて被写体が変わったことでその手法も方向転換せざるを得なくなったのだとか。
だから西洋的でも日本的でもない独自の写真を生み出しているのだそうです。
西洋と日本の写真の違いというのは、

・西洋の写真
光で描く抽象、という概念
風景写真は自然と敵対、あるいは神の領域として崇敬するもの

・日本の写真
真実を写すリアリズムの側面が強い
風景写真は自然に親しみ一体化するような情緒的なもの

このように説明されていました。あまり体系立てて写真を見ているわけではないので、これが全く当てはまるのかどうか、判断する手立てはないですが、確かに柴田の写真はどちらにも組していないように思われます。

他、1970年代にアメリカで起こった新しい風景写真の潮流である「ニュー・トポグラフィックス」の影響や、内容より型を重視する傾向があるとのことです。


ところで、実はここまでずっと柴田のモノクロ写真を念頭に話してきました。
実際、柴田はカラー写真が一般的になってもしばらくの間モノクロにこだわり続け、モノクロならではの質感や白から黒への階調の豊かさを特徴としてきました。
写真評論家の飯沢耕太郎氏が、モノクロ作品についてこのように評しています。

モノクローム作品は、どうしても現実世界とは異質の「虚構の世界というか別世界」をそこに出現させてしまう。
柴田のモノクローム作品から見えてくるのは、むしろ風景の骨格

確かにモノクロ作品では形が強調され、テクスチャはよく分かりません。だからこそ画面のデザイン性が前面に押し出され、前述のわたしの印象などを形作っているのだろうと思います。

それが2000年代に入ってから、カラー作品も手掛けるようになります。
その理由として本人が「撮影しなかった、落としてきてしまった風景がある」と語っています。カラーは「現実から離れられない」と言っているように、モノクロとカラーで受ける印象がかなり異なっており、いつも見ている風景に近いからか、人間をより強く感じます。


わたしが柴田敏雄の写真に惹かれる一つの理由はしばしば水が主題に据えられている点でもあります。(水が好きなので)
都写美の学芸員の方は柴田の写真の中の水を”人の手によって制御された「人工的な水」”と表現していますが、それでも水は美しい。人工物で流れや溜まり方を制限したところで、水そのものの魅力を損なうことにはならないのです。

だからわたしの好きな柴田の写真にはどれも水の存在があります。
タイトルが地名なので紹介が難しいのですが、一等心惹かれたのが、ダムによってできた湖に、永遠に溶けない角砂糖みたいなブロックが沈んでいる写真。「日本典型」の方で見て点在するブロックが軽やかで良いなあと思ったのですが、「ランドスケープ」ではもっと画像が鮮明で、水面下に無数のブロックがあるのが分かってぞわぞわしました。
それから、神々しい滝、を囲む金網とか、山肌に要塞のように築かれた建造物。アメリカのダムの写真で、水が落ちていくところを上から撮っているのだけれど、まるで雲が沸き上がっているように見え、落ちていった先にできた雲のごとき形の泡が漫画的で、仙境にでも訪れた心地になるものなど、別の世界への入口的写真が素敵です。


今回読んだ写真集はこちら↓

・日本典型 著:柴田敏雄 出版:1992年 朝日新聞社
柴田敏雄最初の写真集だそうです。

・ランドスケープ 著:柴田敏雄、東京都写真美術館 出版:2008年 旅行読売出版社
カラー作品、モノクロ作品、初期の夜景を撮ることで情報量を減らしたシリーズが収録されています。モノクロ作品は日本典型とかぶるものも多かったです。

写真集自体は数多く出版しているようなのですが、近場の図書館で読めるのはこの2冊だけでした。残念。

余談ですが、今回初めて武蔵境にある武蔵野プレイスを利用しました。
照明が全て間接照明で、直接見ても目が痛くならないし、アイボリーで統一された内装と丸みを帯びた棚や壁をさらに滑らかに暖かく見せていて、とても落ち着いて本の読める素敵空間でした。
定期券内にあれば毎日でも通いたいレベル……。おすすめです。

ではまた。


※ヘッダー画像は柴田敏雄の作品ではありません。

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