見出し画像

【少女マンガ断想】 少女漫画と1968年

1968年という年が、グループ・サウンズの全盛期で、多くの女の子たちがバンドマンに夢中になっていた時代なのだということを、先日タブレット純さんのインタビューで知りました。

※グループ・サウンズとは…ビートルズなど欧米のロックグループに影響を受けて発生・1967〜69年にジャズ喫茶やゴーゴー喫茶などで活動して大流行した演奏・歌唱のグループ

インタビューが掲載されていたのはフリーペーパー『野望に出会えるカルチャー情報誌YABO 2023年6月vol.16 YABO×昭和歌謡曲』の巻頭特集、「タブレット純さん登場!『聖地純礼』、後追い世代が追いかける夢の昭和時代」。
グループ・サウンズってあまり馴染みがなくて、このインタビューで初めて、その時代が実感を伴って目の前に立ち現れてきたというか、ああそんなに人気だったのね! と理解できた気がします。
そしてそこから同時代の少女漫画へと思いを馳せたのですが、まずはこのタブレット純さんのインタビューを少し抜粋させていただきますね。

昭和43年に僕が惹かれるのは、ある意味で音楽がひとつのピークに達した年だからです。GS全盛期で、今だったらパロディにしかならない王子様のようないでたちのボーカルに、ファンの女の子たちが夢中になって失神していた。お祭り騒ぎみたいな不思議な時代で、みんなが真剣に夢の世界に浸っていました。

昭和の44年になると、学生運動や泥沼化していくベトナム戦争によって夢の世界が壊れてしまい、殺伐とした空気の中、いやが応でも暗いものを見つめなきゃいけなくなる……。

昭和43年は能天気に振る舞うことがギリギリ許された時代で、フォークソングでは自分たちで曲を作るというムーブメントが生まれていて、(中略)
まさに文化そのものが前人未到の領域に食い込んでいく様相を呈していて、当時の若者たちは楽しかっただろうなと思います。

ほぼ全く触れることなく育ってきたこの日本のポップス事情。お祭り騒ぎみたいな夢の時代だなんて、ちょっと想像するのが難しいですが……”前人未到の領域に突入する文化の激動の時代”だなんて、聞いているだけでその場に行ってみたくなります。

この頃少女漫画の世界でもあれこれ変革が起きていて、ちょうど貸本漫画が終わりを迎え、ラブコメが誕生した時期。母娘ものなどのお涙頂戴ものから、同世代の少女たちの色恋沙汰へと、メインテーマが移っていきました。
音楽も少女漫画に大いに影響を与え、ポップスのラブソングからタイトルや設定を借りてきたラブコメが多く描かれたとのことです。(米沢嘉博著・戦後少女マンガ史より)
アイドルみたいな見た目の男の子たちも、甘いラブストーリーも、少女漫画との相性ばっちりですし、それらはさぞかし人気だったのだろうと思います。

しかし、わたし自身がファンタジーやSFを好み、あまり学園モノを読まないからなのか、60年代の少女漫画も読んでいないわけではないのに全然グループ・サウンズに関連するような作品が思い浮かばないのですよね……。
(ちなみに以前書いた↓この記事でご紹介した「銀河のロマンス」はグループ・サウンズが出てくるけど、後の時代にこの時代を振り返って書いているまんが。)

もう少し後のUKロックが出てくる70年代の漫画なら分かるんですが(有名どころだと青池保子さんの「エロイカより愛をこめて」とかね。多分あの頃の少女漫画家はみんなデヴィッド・ボウイ好きだったしね←)、60年代のムードというのがどうにもよく分からない。

なのでこれを機に、1968年に刊行された少女漫画雑誌を読み比べてみたら面白いんじゃないかと。まあもちろん漫画雑誌に限らずカルチャー雑誌をあれこれ見比べられたらもっと楽しいでしょうが、漫画に限定しても”その時”が凝縮されていて夢の時代を追体験できるかもしれません。
それでえーこんなにグループ・サウンズ漫画があったんだあ! って驚いたりはしゃいだりしてみたい。


ところでこの時代は様々なジャンルで若者のカルチャーが台頭してきたそうで、

アングラ演劇という言葉が生まれて、寺山修司さんや唐十郎さんが既成の表現方法にはとらわれない、独特の世界観を構築されました。
映画では若松孝二さんがピンク映画で自分の芸術性や思想を前面に押し出して、多くの若者から圧倒的な支持を得ましたよね。

とのこと。
学生運動やヒッピー、ベトナム戦争などは、青年まんがのイメージが強いかもしれませんが、少女漫画にもちょこちょこ取り入れられています。
でもこういうアングラなムーヴメントはあまり感じたことがないかも?
多くの少女漫画は外国舞台だったり、そうでなくとも外国への憧れが強くて、キラキラしていて、アングラとの親和性がないのは仕方ないような気もしますが、でもアングラに縁のある少女漫画家もきっといたよね?
(4月22日追記:寺山修司等と関係のある作家はそれなりにいるので(新書館等を通じて)縁がない訳ではないのだけれど、実験漫画と実験的な演劇では手法が違って類似性を見つけられていないのかも)
と、この辺りのことも1968年の漫画雑誌読み比べの際に頭に入れておきたいな、と思っております。

ところで先日生のタブレット純さんのライブを初めて観てきました。
特にすごいファン、とかではないけれど、何となく気になる存在だったタブレット純さん。実際に拝見すると、脱力系なほんわかトークを織り交ぜつつ、歌がやっぱりとても上手い。
懐かしモノマネなどもされていて、いわゆる音楽ライブとは一風違った楽しいひと時でした。

そんなわけで1968年、気になる年です。

最後まで読んで頂きありがとうございます。サポートは本代や映画代の足しにさせて頂きます。気に入って頂けましたらよろしくお願いします◎