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41. 束髪乱れ咲き 【服飾】

久々にファッション系の記事です。
年明けすぐでまだ図書館が開かないので、とりあえず手持ちの資料で書けそうなネタを。


束髪とは

明治時代に現れた女性の髪型の一種。
それまでの日本髪は結うのが大変で、あまり洗えず、眠るのにも不適切だったため、文明開化の影響もあり考案された、手軽に自分で結える髪型です。

和装にも洋装にも合うところがポイント。
当時、男性が早々とちょんまげをやめて散切り頭になったのに比べ、女性の髪型は(服装も)封建制の名残が強く、なかなか変わりませんでした。
近代化が進んでも、完全な洋装というよりは和洋折衷な格好が多く、
袴に西洋靴、和服に洋傘、和服で髪にリボンを飾ったり、着物の下に西洋風のシャツを着る。
そういうちゃんぽんな格好には、西洋の雰囲気を取り入れた結い方である束髪が適していたようです。


この束髪、最近知ったのですが、種類が実に豊富なのです。
(画像を検索すると色々出てくるのですが、それをこちらで引用して良いのかどうかイマイチ分からない画像が多かったため、言葉だけでさらっとご説明します。気になる方は各自検索をお願いします。)

・西洋上げ巻
西洋で「中年以上の婦人」がしていたという髪型。
頭の上の方で髪をぐるっと巻いています。

・西洋下げ巻
こちらは反対に、頭の下の方で巻くやり方。
とても品の良い髪型ということです。
明治から昭和の頭頃までの和服の女性の髪型で、ぱっと思い浮かべるものというとこの形が近いような気がします。

・イギリス結び
後頭部の真ん中辺りから編んだ三つ編みをぐるっとまとめた結い方。
とても丈夫で働く女性にぴったり、という宣伝文句付き。

・マガレイト(まがれ糸結び)
西洋の「十六、七歳の娘」がしていたという可愛らしい結び方。
イギリス結びと同じように編んだ三つ編みを輪っかにして根元にリボンを結ぶ。
少女らしい可憐な形です。
名前は“マーガレットさん”のことだと思うのですが、どういう由来でこの名になったのか気になります。

・庇髪
前髪や左右の部分を前方に突き出すように結うやり方で、文字通り庇のように髪が張り出します。
明治後半から大正にかけて女学生に流行したそうです。
庇髪の一種である二百三高知は庇髪の真ん中部分を山のようにこんもりさせた形のものです。二百三高知というのは中国の山から取られているそうです。(標高203メートルだから。中国の山はこういう命名がされているものが多いのだろうか?)

・耳隠し
サイドの髪にウェーブをつくり耳を隠したスタイル。
絵やモノクロ写真では可愛く見えるも、カラー写真で見るとちょっと微妙そうな感じがする。“耳が全く見えない”ということが違和感に繋がっているのか、単に好みでないのかは測りかねています。


他にも様々あるようです。
簡単と言いながらけっこうどれも難しそう。本当に一人で結えるのかしらん?
後ろで一本三つ編みを編むのも苦労するわたしにはとても真似できなさそうです。

国会図書館の資料を覗いてみると、束髪のやり方を説明した本も幾らかあって、当時の女性たちが見比べたりご近所さんで情報交換・意見交換をしながら自分に合う髪型を模索していたのかと思うと微笑ましい気持ちになります。

格好を気にしてあれこれ工夫するのは今も昔も変わりませんね。

江戸時代、庶民もそんなに大変な日本髪を結っていたのか、とか、ヘアピンも珍しかったらしい時代にどうやって髪を固定していたのか(洋装にかんざしは合わないでしょう)とか気になる点は幾つかあるのですが、ひとまず今回は束髪の種類の豊富さをご紹介するに留めておきます。

ヘッダーは足立区立郷土博物館収蔵資料データベースのパブリックドメイン の資料から、「大日本婦人束髪図解」をお借りしました。

昔の風俗資料の絵を眺めているとワクワクします。

ではまた。


<参照した資料>
wikipedia 束髪のページ
コトバンク 二百三高地のページ束髪のページ
国会国立図書館デジタルコレクション 日本西洋束髪独結び

日本生活文化史7 西欧文明の衝撃…川村善二郎編 河出書房新社昭和55年発行
図説日本文化の歴史11 明治…飛鳥井雅道編 小学館昭和56年発行

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