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迎え入れたら手放す、捨て魔の日常

新しくお洋服を買う。お会計をしてお店を後にする頃には決めている。

「帰宅したらクロゼットに掛けよう、その代わりあの服は引退」と。

ひとつ迎え入れたら、ひとつ手放す。これがマイルール。

キッカケは

5年住んだ中華圏から日本に本帰国するときの断捨離。引っ越しの段ボールが、船便でも1万円かかることを知り、ケチ根性丸出しで極限の断捨離を決行。

最初に決めた「1年ルール」。1年見なかったもの使わなかったものは新品だろうが何だろうが心を鬼にして処分。結果、一人暮らし1軒分の荷物が、50センチ四方の段ボール2箱で収まった。

「最後ゴミになるなら、最初から持たなきゃいい」がその時得た強烈な教訓。以来、モノへの執着は激減し、最低限で暮らしたいと、プラマイゼロになるようにちまちま減らしながら暮らしている現在。

とはいえ

5人家族の我が家。人数分の荷物がごっそり。それぞれに独特の価値観で断捨離しているが、捨て魔の目線で見たら家の半分のモノはなくても平気だ。

せめて自分のものと共有くらいはと、マイルールで「ひとつ買ったらひとつ減らす」を心がけている。最近は加速してひとつ増えたら2つ手放すようにしていて、そしたらいつの日かリビングで視界に入るものが電話とメモとペンという、ホテルみたいなスッキリ空間になるんじゃないかと思っている。

とある不燃ごみの前日

家は人それぞれ。私にとっては頭と心の整理

結局モノとの付き合い方はその人なりの価値観なんだと思う。オシャレでインテリアが好きで感性に合ったもので暮らしを整える人もいるだろうし、収納が上手で合理的に美しく暮らしている人もいる。

ただ、自分にとっては断捨離=頭と心の整理になるような気がしている。惰性で愛情がないままモノを置いておくと、家の氣が下がるような気がして、だったら別で活用してもらいたいと手放すという、この方法が私の性分には合っている。

最近付け加えた習慣は「1日ひとつ何か手放す」。こうすることにより自分が少し身軽になった気がしている。軽いストレッチとか深呼吸みたいな感覚だ。

「まだ手放せる」

こう思っている現在は、まだ自分の頭も心も整理する場所が沢山ある。手放した先に何を思うのかも、ちょっと楽しみだったり。

そんな風に思いながら、今日も何か手放すものは無いかな、と家の中をぐるぐるしている。

6月1日 サカシタカオリ

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