歴史もスポーツもフラットに見たい。 19.07.02

音楽の話が多いのと、音楽で繋がった友人が多かったりで、意外と知られていないことだが、僕はF1が好きだ(ついでに言うとクルマも好きなのだが、免許取ってもほとんど乗らずペーパー状態である。それはまた別の話)。


オーストリアGPの決勝レースはとても面白かった。

ここまで圧倒的な強さを誇ったハミルトン/メルセデスの黄色信号。調子を上げてきたフェラーリとレッドブル。そして優勝争いをしているのが新世代のルクレールとフェルスタッペンという2人。

レッドブル・リンクは高低差が大きくて中継映像の見晴らしがいいとか、すごい晴れてるとか、レッドブルの本拠地だとか、隣国オランダ出身フェルスタッペンを応援するオレンジ軍団の熱狂とか、なんかそういうのが折り重なっているとは思うが、総合してとてもとても面白いレースだった。

ここ数戦、ハミルトン/メルセデスが勝ちすぎて、「つまらない」というファンの声もあったらしい。昔シューマッハ/フェラーリ時代もそう言われたし、ベッテル/レッドブル時代もそんな感じだった。僕個人としては、ハミルトンという選手のキャラが結構好きだし、つまらないということもなかったけど(とはいえ最近ちゃんと見てはいなかったのだが)。でもこういうエキサイティングな、白熱したレースを見せられると興奮する。テニスの四大大会と同じくらい、いやそれ以上に。

翌日朝のニュースでも「ホンダエンジンの優勝」として報道されていた。個人的にはそこにあんまり興味は無い。でも日本に生まれ日本に暮らしていると、どうしてもスポーツの試合は日本の選手、日本のチームに肩入れしてしまう。それはどの国の人であってもそうだろうし、好きな選手、好きなチームに肩入れした見方になってしまうことはスポーツ観戦の常だ。そしてそういう観戦の仕方は全くもって正しい姿である。

そういう観戦の仕方を否定するわけではないのだが、もし出来るなら、バイアスを出来るだけ排除して、もっとフラットにスポーツの試合を捉えたい、という思いがある。


これもあまり人に知られていないが、僕は三国志が好きだ。きっかけこそ小学生の頃に友達の家で遊んだ『真・三國無双』シリーズだったが、段々と『三国志』、更には正史などの歴史的資料を元に推測される歴史の姿そのものへと興味は変わっていった。

いわゆる『三国志』あるいは『三国志演義』というのは、主人公がいて、悪役がいる、つまり物語である。僕もこれの影響は大きくて、今でも割とこの主人公の勢力が好きだったりする。でも学生の頃に親が買ってくれたとあるムック本に、悪役として描かれてきた英雄がかなりの秀才だったとか、全知全能の軍師、といったイメージの孔明が本当は軍事の才能があまりなかったのではないかとか、「本当はこうだったのではないか」という武将や群雄たちの姿が歴史的資料から推測されていて、これが自分にはとても興味深かった。もっとも、ちゃんと理解して読めるようになった頃には、もうそのムック本はだいぶボロくなっていたが。後にシミュレーションゲームの『三國志』をやったとき、そこで読んだ内容が微妙に反映されていたりして、楽しかったものだ。

そうやって「本当はこうだったのではないか」という武将たちの姿を紐解いていくと、新たな視点が増えて、歴史の見方が広がっていく。これがとても面白かった。実はそのムック本以外の研究本をほとんど読んでいないので、まだまだ個人的には研究の余地がある。いずれ気が向いたら色々と読みたいと思っているところだ。


スポーツの試合をもっとフラットな視点で捉えたい、という思いは、この三国志の趣味で培ったものだろう。昔から歴史というものは小説の題材にされてきた。でもそれは(事実が元であるにせよ)一方的な見方に過ぎない。そしてそれは、自国選手や好きなチームに肩入れして見る、ということも同じだと思ったのだ。

スポーツ観戦を楽しむのなら、誰かを応援する方が楽しい。でもそれだけでは見落とすものも確かにあるはず。そのために色んな視点から見て、研究し、分析する。よくよく考えたら解説者ってそのための人なんじゃないか。


そうは言っても、ウィンブルドン見れば錦織を応援しちゃうし、ハミルトンとベッテルが競り合っていればハミルトンを応援しちゃう。佐藤琢磨のインディ500優勝に歓喜する。何を見てたってバイアスが多少はかかってしまう。抗いがたい興奮がある。スポーツをフラットに見るの、やっぱり難しい。

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