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母との関係②反発

前回の続き。
「亡くなった妹の分まで」と、私に頑張りを求めた母。母が中でもこだわったことは、勉強ができる子であること。

首都圏住みだったこともあり、中学受験をする流れが自然にできた。
小3で大手受験塾のテスト生になった。日曜日に本科生に混ざってテストを受け、その解説だけ聞いてくるというもの。なぜ本科生ではなかったのか?それも妙な母のプライドで決められたことだ。

私が小学校に上がった頃から、寺子屋のような小さな学習塾で講師の仕事を始めた母。
「寺子屋で働いたお金で、我が子を私学受験の塾に入れてると思われたら嫌よ。がんばり次第で家庭学習でも私学にはいけるわ。」
そう言われて、私は母に与えられるまま、ひたすらテキストを解く毎日だったが。

だがしかし!
中学受験経験者の方ならお分かりだと思うが、そんな甘いもんじゃない。学校の勉強とは全く違う!理系が苦手な私にとっては算数は地獄。旅人算、流水算、鶴亀算…すぐに解き方を忘れる。忘れる私を叱る母に怯え、受験塾のテストの点数にため息をつく母に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そして自分自身のあまりのできなさに自尊感情もズタズタになっていった。

テスト生をやめたい、と母に告げたのは、16点の理科のテストが返ってきた日だった。
「どうして?」
「解説を聞いていても解らなくて眠くなる」
「理科が受験にない学校受ければ?」
「算数もわからないから、テスト生やめられないなら、いっそのこと本科生にしてよ」
そう言ってわんわん泣いた。

母の中には、どうしても本科生にするという選択肢がなかったからなのか、テスト生をやめることになった。
はじめての、母への小さな反発が通った。

その後母は、国語と算数の基礎問題しか出題されないという地元の国立大学附属を目指すよう私に告げたが、私の反発は止まらず。受験勉強から逃げ出す言い訳をさがしまくったあげく、「やりたいことを見つけた」ようなことを言って、自分自身もそんな気分になりきって、結果としては芸術系の私立中学に進学した。

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