影と共に。
誰もいない公園のベンチに座る。
街灯は煌々と光を届けているが、どこか薄ら寂しい感じは拭えない。
12月の最終週。仕事納め。夜の10時。
この時間の寒い公園にあえて出てくるような奴がいたら、そいつは生粋の寒いとこ好きで、前世はホッキョクグマかコウテイペンギンに違いない。
天気予報では、夜は冷え込み、5度くらいまで下がると言っていた。
スーツも、コートも、ボタンは全部締め切って、首にはマフラー。
右手にはさっきコンビニで買ったカップ酒。
プルトップをカチリ、と開けて、ちびりと一口飲む。
アルコールが喉を通っていく。少し痛いような、焼けるような感覚が、今は少しだけ心地よく感じる。
会社の忘年会は、用事があるといって1時間で抜けてきた。サワー1杯と枝豆、サラダを少々食べただけで、会費は3000円。酔っぱらった上司の愚痴を延々聞かされるのに比べたら、早く帰ってきたほうがはるかに安い気がした。
酒をもう一口。あまり食べていないせいか、胃がほんのりと熱くなる。寒空の下。頭は冷え切っているのに、身体の奥はほんのりと暖かい。ちぐはぐな感じがたまらなく心地よい。
空を仰ぐ。
雲一つない夜空には星。かろうじて知っているオリオン座を見つけ、相変わらず砂時計みたいだ、なんて思う。
酒をまた一口。息を吐く。
息は白く、風のない空中に真っ直ぐに伸びる。こうして息を吐くと、胸の内に溜まった、モヤモヤが全部吐き出されるような感じがする。タバコもやらなければ、大声で叫ぶこともない自分のちょっとしたストレスの吐口。
やんなっちゃうな、と思えば、いつだって顔は下を向いてしまう。本能にそうさせられてるように、自然と。
影があった。
自分と同じ背格好、同じ輪郭を持った、影。
あまり高くない街灯の光を背に受けてできた、影。
「お前、俺なんかの影になっちゃってほんと災難だよなぁ」なんて喋りかけてしまうのは、きっと酔っている証拠だ。
子供の頃、影はもっと大きかった。
夕方、日が沈む時間。日に背中を向けて、影を見ると、そこには自分より何倍も大きな影ができていた。
自分は小さいはずなのに、夕方の小学校の校庭に映る影は、なんで、こんなにも大きいんだろう、と子供ながらに驚き、感動していた。
影の長い手、長い足を大きく動かせば、まるでウルトラマンや画面ライダーみたいに大きくなれた気がして、面白かった。
それに比べ。
目の前にある影はちっとも大きくない。
そも、今の今まで、影が大きく見えることがあるなんてこれっぽっちも思い出さなかったんだ。
影は、自分そのままの大きさでそこにある。
街灯がそんな風な位置にあるからかもしれない。けれど、影は今のありのままの、ちっぽけな自分だ、と思った。
子供の頃、世界は可能性であふれていた。
まだ見知らぬ世界、知識、未来。キラキラした可能性を身体一杯に秘めていた。そして、大人たちから半ば強制的に握らされた「夢」を携えて、恐れを知らず突き進んでいけたのだ。
影はその象徴かのように、大きく見えた。まだ自分たちは小さいけれど、いつかはウルトラマンにだって画面ライダーにだってなれるんだ、そう信じて疑わなかった。
成長に反比例して、影はだんだん小さくなっていった。
中学、高校、大学、社会人。進めば進むほど、現実は壁を突きつけた。壁が目の前にできてしまったので、影は自分の腹のあたりで、折り曲がって見えるようになった。
あの日と同じ影の大きさと同じくらい大きくなれる人は、ほんの一握りの人たちだけだった。特別だと思っていた自分だけの才能、特技はことごとく、凡庸であり、影はどんどん小さくなっていった。そして―――
人混みに紛れてしまって、目の前の人の影も、自分の影も、見えなくなってしまった。
あの時、見えていた大きな影は跡形も無くなった。
目の前にある影はどうしようもなく、等身大の自分の影だ。
もう、あの時の大きな影は現れてはくれない。
だって知っている。
不器用で、人付き合いもそんなに上手くなくて、仕事が人よりしっかりできるかと言えばそうでもない。それが、自分だ。
うまくできる奴らがちょっと羨ましくて、日々自分に劣等感を抱いてしまうのも自分だ。
劣等感にさいなまれても、できないなりにやれることを日々精一杯やるしかないのも自分だ。
あの日見た大きな影はもうない。
あるのはどう見ても自分でしかない、自分の影だ。なら、等身大の自分で生きていくしかないじゃないか。
最後の一口を煽る。
「こんな自分だけど、これからもよろしくな」と影に言ってしまう自分は相当酔っているに違いない。
ベンチから立ち上がる。
肩甲骨を内側に寄せて、胸を張る。誇らしい姿にしてやるのだ。自分と同じちっぽけな影でも、せめて堂々とした姿であるように。
明日からは、少し長めの年末年始休暇だ。
読みたかった小説と、漫画、それに前々から勉強してみたいと思っていた分野の参考書はもう買ってある。
読む前には、今年一年頑張った身体を思いっきり休ませてあげるのも忘れてはいけない。
生きていくのだ。自分も影も。ありのままの大きさでいい。しかし、少しでも堂々とした姿で在れるように。
カップの瓶をゴミ箱に向かって投げた。
カロン、と気味のいい音をたててゴミ箱に入る音がした。
***
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