2222日に幕を下ろすのは彼女
欅坂46一期生として加入し、グループの改名を経ても尚櫻坂46の一員として活動してきた尾関梨香が先日2022年9月11日に最終活動日を迎え、9月30日を以ってメッセージ配信を終え、卒業・引退をした。
彼女に魅了されグループを推してきた日常、アイドルを追うという自分の日常の終わりは、意外にも同時に迎える。意外にも、自分でも驚くほど余りにも意外なのだ。
(※この雑記は自己を客観的に見つめる為の謂わば記録であり、他者が読むに値する文章には到底足り得ないものである。この雑記を読むのであれば、その点をご理解頂きたい。)
1.欅坂46との出逢い
幼少の頃から音楽を聴くことが好きだった。家系がそういう類とかではなく、自分が音楽に携わりたいからというのでもなく、シンプルに音楽を聴いて生きてきた。しかも他の人と比べてより聴いてきたという訳でもない。どこにでもいるただ音楽をよく聴く人間である。テレビっ子だったので、ドラマやアニメの主題歌など流行りの音楽は粗方聴いていたし、今でも歌えるものも多い。そんな幼少期に出逢った音楽で、今現在自分の生きる指針でもあるのがBUMP OF CHICKENである。彼此10数年もの間自分の中心である。BUMPに出逢った後、邦ロックに傾倒していった。中でもASIAN KUNG-FU GENERATIONは、今でも追うバンドであり、BUMPと同じく自分の軸的な立ち位置に存在している。この傾倒をきっかけに、自分の音楽観は狭小になり、邦ロック以外は聴かないように無意識になっていたのだが、そんな狭小な世界をぶっ壊してくれたのが欅坂46であった。始まりは、友人との些細な会話である。
「この間のMステ見た?」
「いや、見てないけど。なんで?」
「欅坂?だっけな、なんかそんな名前のアイドルが出てたんだけど、センターの平手って子が凄かったからさ。」
「へー、アイドルね。帰ったら調べてみるわ。」
友人は一緒にライブに行く間柄で、人生初のライブとなるBUMPのGGT公演に誘ってくれた、人生が変わるきっかけをくれた人でもある。アジカンの素晴らしさを教えてくれたのも彼だった。そんな彼から勧められたので、見ようかなという気にもなったのだ。幾日か経過した、日付まで覚えている2016年8月30日、そんな会話をしたことをふと思い出し、“欅坂46”と検索をかけた。メンバーのプロフィール写真をぼーっと眺めた後、『サイレントマジョリティー』のMVを観る。当時の感想として、映像の衝撃は正直にいうとそこまでなかっただけでなく、友人の語っていたセンターの子にも然程引かれることもなかったし、寧ろ鈴本美愉の方が印象的であった。しかし、それも強いて言えばのレベルだった。では何に心を奪われたのか、無論音楽そのもので有った、歌詞でも映像でもメンバーでもなく、音だった。邦ロック界隈で育ってきた自分は、アイドルソングというものに途轍もなく強い偏見を抱いていた。ポップで明るくて、軽くて、耳馴染みのいい音楽(今ではそんな音楽のみな筈がないのは当然理解しているが、当時は本当にそう思っていた)を引っさげてダンスするジャンルという認識である。しかし、耳に飛び込んできた音は、そんな偏見を吹き飛ばすような強いものだった。それからというもの、自分は欅坂の音楽に心惹かれ、メンバーの顔も覚えずに、ひたすらに音源を聴く生活を始める。
そんな日々を過ごす中で、とある秋の日、音楽だけで構築された“私の中にある欅坂”はメンバーという色味を帯びる。YouTubeのおすすめに上がった『欅って、書けない?』、通称けやかけが目に飛び込んできた。アイドルのバラエティ番組を見るのは無論初めてのもので、数回分の視聴だけですっかりハマってしまった。目新しさ故のものだったのか、メンバーの魅力だったのか、番組自体の面白さだったのか、今となってはよく分からないが、あの時けやかけを見たことが欅坂にのめり込んだきっかけだということは確信を持って言える。年末あたりには、リアルタイムで番組を視聴するようにもなり、欅坂のファンへの拍車をかけた。
一つ一つを語っていくとキリがないので次の転機を綴る。それは、欅坂46の1stアルバム『真っ白なものは汚したくなる』のリリースである。本日9/12までの約6年のなかで最も大きな出会いの一つがこのアルバムだ。というのも、私は欅坂というアーティストにはハマったものの、コンテンツそのものにはハマりきっていなかった。その中で顕著に疑問を抱いていたのが、ビジネスの側面である。CDのタイプ別商法という施策が受け付けず、なぜ同じCDを何枚も買わなければ楽曲を揃えることができないのかとモヤモヤした気持ちを抱えていた。そんな中この作品は、1st~4thシングルまでの楽曲ほぼ全て(未収録は3曲のみ)を収録し、新規曲の数は16曲という新規から既存のファンまで全員の購買意欲を駆り立てるものであった。発売日、予約したアルバムをCDショップに受け取りに行き、家に帰るまでのワクワク感は何度経験しても良いもので、当然欅坂でも同じように感じた、あの日のことは、今でも容易に思い出せるほどだ。家に帰り、CDを流す。耳に飛び込んできたのは、多彩さの中にしっかりと“欅坂46”という核が備わった楽曲群で、素直に感動した。この辺りの時期からメンバーの発言に変化が帯び始めたのも欅坂にハマる要因であったのだが、それこそが次の思考であった。
"楽曲を伝える"
自分は、このコンセプトに心底驚いた。自分が昔から敬愛するBUMPと同じことを言っているから、それもアイドルが…
アイドルはそもそも歌詞を書いていない、曲も作っていない(例外はあるかもしれないが)。提供された楽曲を歌って踊って披露する。楽曲を伝えるということは、その曲に自分の意思が乗っからなければ出来ないことは至極当然にも関わらず、提供された歌詞は、自分の又は自分たちの言葉ではない。どんなに歌詞を解釈し、理解して自分たちの中に落とし込もうとしても、他者の意図と思考とは必ず隔たりが生じる。努力ではどうにもならない不変の事実である。つまり、ここで言う楽曲表現は、演技と同質のもので、一朝一夕で身につくものでは到底なく、況してや成長を示す目に見える指標はなく、漸近はしても決して完成しないものである。女性のアイドル生命は短い、長くやっても30歳くらいだろうか。そんな短い期間で成し遂げるコンセプトとしては余りにもコスパが悪い。それ故にダンススキルや歌唱力、ビジュアルの磨きに力を入れるのがセオリーであり、ある種正解の道と言えるだろう。しかし、彼女たちは楽曲表現という茨の道を選択し、突き進むと答えた(無論、前者に挙げた項目も努力した上であり、その上で何に最も重きを置いているかという話である)。この欅坂のコンセプトを知った時、只管にワクワクしたのを今でも鮮明に覚えている。
そんな変化を帯びたタイミングでリリースされたアルバムをきっかけに、ライブに足を運ぼうと決意した。残念なことに、欅共和国2017は個人的なスケジュールの都合上行くことが叶わず、初のライブは『真っ白なものは汚したくなる』を提げた2017年全国ツアーの千秋楽になった。
8/30幕張、天気は快晴、他のアーティストのライブで何度か足を運んだことのある会場は馴染みが深く、ワクワクも然程なかったのを覚えている。これは、深層心理で“所詮はアイドル”という気持ちが抜けていなかったのもあっただろう。しかし、そんな考えは一瞬にして崩れ去る。アルバムリード曲『月曜日の朝、スカートを切られた』を軸に作り上げられた世界観を、パフォーマンスは勿論のこと、ライティングや映像、特効を介して、綿密に組み立てていくその数時間は心を掴んで離さなかった。開幕のエキセントリックから終幕の不協和音までに紡がれた世界は、端的に示せば“衝撃”以外の何物でもなかったのだ。欅坂46との物理的な出逢いは2016年の8月である。しかし、真に出逢ったと言えるのはこの日だと、自分はそう痛感した。
2.尾関梨香を推すということ
そんな衝撃の出逢いから程なくして、5thシングル『風に吹かれても』の選抜発表がなされた。そこで初フロントに選ばれた一人が尾関梨香だった。その後放送された新フロントを掘り下げる企画で、尾関が台上前転を披露し、澤部とハイタッチをするシーンで完全に惚れてしまったのが推し始めたきっかけである。元々性格に惚れていたことも大きな要因ではあるが、ここまで、音楽がー、パフォーマンスがーと語ってきたにも関わらず、結局推すきっかけが“可愛い”という余りにも単純明快な点が、アイドルというものの本質を捉えているのかもしれないとは少し思ったりもする。
この時点から箱推しという前提のもと、個人も推すことを意識的にし始めたのだが、推すという行為を自分の中に落とし込み、確と解せたのは9th選抜にまで時が進む。
9th選抜が行われたのは、2019年の7月某日、ファン側がそれを認識したのは全国アリーナツアー終わりの2019年9月9日放送のけやかけであった。この件に関して細かに綴ると話が逸れるので、またの機会に書こうと思うが、端的に今回の主を話すと、尾関梨香が選抜から外されたという結果が生まれた。この決定を見た自分はTwitterで多くを呟いた。直前の欅共和国2019での活躍や、二期生との架け橋としてグループを繋ぐ役目を全うしていたこと、ラジオ冠番組である『こちら有楽町星空放送局』の3代目パーソナリティを一所懸命にやり遂げていたこと、数々の功績が堰を切ったように言葉として溢れ出した。箱推しだと思っていた自分が、一人のメンバーに対して“何故”という想いで押し潰されそうになる。そこから“推す”について悩み、尾関推しだと公言するのを憚っていた自分の思考と葛藤することになった。一人を推すという行為は、箱推しと齟齬が生まれるのではないか。推しだと公言するほど彼女のことを見ているのか、見てないとしたら烏滸がましいのではないか、そんな色んな葛藤ゆえに躊躇っていた気持ちに、相当悩んだのは今でも記憶に新しい。そんな時ふと、FFの方から「選抜とかが一番分かり易いと思っていて、あの呟きを見る限り、尾関推しだと思いますよ。」という言葉を投げかけられる。この言葉は自分の中でとても大きく、踏ん切りが付いた瞬間であった。ここから尾関梨香というアイドルを、人物を確と見届けていくことになった。
3.自分にとって“推し”とは
先述の通り、私は箱推しが主であって、その上で個人を推すという択を採っていたのだが、推すという行為の根源を言語化するとかなり難しい。突き詰めれば、単純な「好き」という感情に収束されるのであろうが、枝葉を考えると複雑である。
まず箱推しにフォーカスして話すと、第一義はグループの信条である。楽曲を届けるという核を見失わずに一心不乱に心を燃やす彼女たちに心底魅了された。故に、そこから外れた仕草を垣間見ると、モヤっとした気持ちが起こる。パフォーマンスは、この信条を体現したものであり、それ自体が重要なわけではなく、あくまで“心”が箱推しの原動力であった。その根幹の上に、メンバー一人一人への“好き”という感情が乗っかっている。グループ一個体の好きの上に個人に対する好きが存在しながら、個人がバラバラになると根幹さえも崩れてしまうという感じだった。つまり、全員選抜は自分にとってかなり重要なピースであるというのが、箱推しという言葉に内包されている。
次に個人を推す、ここでは尾関梨香を推すということだが、これは為人を敬愛していることとほぼ同義である。ビジュアルやパフォーマンス、延いてはアイドルの公的要素全般に至るまでの諸々の観点は余り重要性を待たない。ファン側から見える部分が一部であるだけに、パーソナリティに関わる部分も公的な部分であると捉えられることに異論はないが、表出されるパーソナリティな要素が少なからず為人と共有部分を有すると考えられることも同様に異論はないだろう。つまり私にとっての個人を推すと言う行為は、生き様に惚れて、それを敬愛し、憧れを抱くことだと言語化出来た。
推すという言葉には、推す側である自分と推される側である対象の他に、第三者という立ち位置が存在し、その第三者にも薦めることを内包しているというのが辞書的な意味である。使われ始めた当初は、その意味合いが強かっただろうが、昨今では形骸化し、好きという言葉の代替品としての性質が主である。“好き”と同様にその範囲は広く、フランクなものから、愛に匹敵するものまで存在する。故に、人それぞれに推しの定義が存在し、そのどれもが正しい推しであることを理解していたいとは常々思う次第である。
4.尾関梨香とは
仰々しい見出しにしたものの、大して深い内容ではない。単純に尾関梨香の魅力を語りたい、その一心である。
・愛おしい
まずはこの要素から。彼女は何をやっても愛おしかった。有名な走り方から、一つ一つのリアクション、ラジオパーソナリティを務める冠番組に於いて度々見せる緩いポンコツ加減、バラエティに於いて失敗しても成功しても満面の笑みをこぼす様は、愛おしさで溢れていた。個人的に印象的なシーンで言えば、櫻坂1stシングル選抜発表時の驚き方、パインパーソナリティや春雨よといった言い間違えなどがある。この他にも綴ろうと思えば無数に出てくる愛おしさは紛れもなく彼女の魅力である。同期からはグループのマスコット的立ち位置と見做され、後輩から赤ちゃんのようだと称される彼女の愛おしさは、癒しという言葉の具現化であったと思う。
・優しい
何も言うことがない人を賞賛する時の代名詞“優しい”というワードであるが、彼女に対してはこれこそが核であり、これこそが推す動機だと強く思う。優しいという性格をファンという立場から捉えるにあたって重要になるのが、メンバー等彼女と関わりがある人からの具体的なエピソードである。メンバーの機微を察し、程よい距離感でその悩みの受け皿があることを伝えてくれる。そんな彼女についてのメンバー含む関係者からの評を幾つか引用したい。
増本綺良
山﨑天
小林由依
志田愛佳
長濱ねる
田村保乃
大園玲
平田真人(インタビュアー)
オテンキのり
小池美波
森田ひかる
井上梨名
武元唯衣
渡邉理佐
上村莉菜
ここに列挙したもの以外にも沢山の優しさが詰まったエピソードが存在する。彼女のその優しさは、自分にとってこんな人になりたいという憧れそのものだった。
・クソ真面目
真面目ではなくクソ真面目なのは、彼女自身が自分をそう評したからである。SAKURA BANASHIという櫻坂46の2ndシングルの特典映像にて、小林由依とツーショットトークをした際に放った言葉である。二人とも真面目だとよく言われるという話であったが、それを個人的に一番に感じたのが、黒い羊発売記念の欅坂46のANNでの尾関梨香であった。他のメンバーがわちゃわちゃと自由に楽しむ中、司会進行役に抜擢された彼女がスタッフさんと綿密に話し合う真剣な表情が何度も見受けられた。そんな真面目な彼女の為人はこんな所にも表れる。
真面目であるがゆえに、発される言葉はとても真っ直ぐで、見せる姿勢はとても誠実であった。先述したSAKURA BANASHIで彼女が「真面目は良いことよ」と言っていたが、本当にその通りだと思う。自分自身が紛れもなくその姿勢に惚れた一人であるから。
・パフォーマンス
為人だとは言っても、パフォーマンスはやはり好きだった。彼女のパフォーマンスの根源とも言えるのが、楽曲解釈の言語化能力であると個人的に思っている。 BRODYの2021年6月号にて語った、偶然の答えの解釈論である。MVはこういう主軸であると伝えられたこと、その上で自分自身がこの曲はこういう感情を歌った曲だと捉えたこと、その軸を捉えつつも場面場面での感情の移ろいを意識したこと、そして、その感情をダンスにどのように反映させたかが丁寧に、そして綺麗に語られている。アウトプットが行えるということは、パフォーマンスをロジカルに創造できることであり、安定性に繋がる。それでいながらも、欅坂時代に培った感情の爆発も持ち合わせているのだから、魅了されるのは必然なのだと、櫻坂になってからはより一層そう感じる次第であった。
この解釈の力は天性のものではないことも綴りたい。『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』の特典であるインタビュー映像でこんなことを発言している。
また欅坂9枚目シングルで選抜落ちした際のこち星では
と語っている。立ち位置の変化、楽曲と向き合うようになってから経過した年月での変化、そんな変化によってパフォーマンスを磨き続けた結実がまさに楽曲解釈の言語化という力を得たのだと、流れを見てきた自分は痛感し、それとともにその努力に敬服せざるを得ない。櫻坂に於いて、その努力の結実が輝いたのを垣間見た時、心底嬉しかったのを鮮明に記憶している。
ここでもう一つ、欅坂46・櫻坂46のコレオグラファーであるTAKAHIRO氏のインタビューを引用したい。長文での引用になるが、ご容赦願いたい。
試行錯誤を繰り返し、自分と楽曲、そしてメンバーと向き合い昇華させたパフォーマンスは唯一無二の輝きであった。最後に個人的に好きなパフォーマンスを羅列して、このパートを終える。
・欅共和国2018 『もう森へ帰ろうか?』『バスルームトラベル』
・うたコン『黒い羊』
・2019年以降に披露された『風に吹かれても』
・欅共和国2019全編
・3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE 日本武道館『黒い羊』
・夏の全国アリーナツアー2019『Student Dance』
・欅坂46 LIVE at 東京ドーム 〜ARENA TOUR 2019 FINAL〜『太陽は見上げる人を選ばない』
・ベストヒット歌謡祭『避雷針』
・Live Online but with YOU『誰がその鐘を鳴らすのか?』
・THE LAST LIVE全編だが、特に『もう森へ帰ろうか?』『コンセントレーション』『砂塵』『サイレントマジョリティー』
・SONGS『太陽は見上げる人を選ばない』
・そこさくスタジオ披露『ブルームーンキス』
・MTV STORY TELLERS『最終の地下鉄に乗って』
・TGC2021 S/S『Nobody's fault』
・1st TOUR 2021『無言の宇宙』『最終の地下鉄に乗って』
・1st ANNIVERSARY LIVE『Nobody's fault』
・3rd Single BACKS LIVE!!『Buddies』『BAN』『Dead end』
・渡邉理佐卒コン 一期生パート、『僕のジレンマ』
・W-KEYAKI FES.2022全編
・可愛い
尾関梨香ちゃんは世界一可愛い。
私はこの理について気の済むまで綴ろうと思ったが、余りにも可愛すぎるので、ここに記すには余白が狭すぎる。
5.旅路の果てに
ここまで長々と書き上げてきたが、欅坂46・櫻坂46並びに尾関梨香には数え切れないほどの感動を貰い、抱え切れないほどの思い出を受け取ったということを様々な形でアウトプットすることで再確認したかったというのが執筆した経緯である。また、自分の中での一つの区切りとしても、このnoteを書き上げたかった。出逢いのきっかけとなったMステ放送日(2016/8/12)から最終活動日(2016/9/11)まで2222日、初めて欅坂の曲を聴いた日(2016/8/31)から最後のメッセージ(2022/9/30)まで2222日、少しこじつけかもしれないけれど、何処か縁を感じる日数である。冒頭で書き起こしたが、音楽に魅了され、グループに惚れてきた自分が一人のメンバーの卒業でグループを追わなくなるというのは、とても不思議な感覚だ。2016年の自分に伝えても恐らく鼻で笑って信じないだろう。しかし、実際そうなったのは意外という他ないのである。
人生には幾つかの転機がある。私にとって欅坂46との出逢いは紛れもなくそれだった。このnoteを読んでくれたそこの貴方が、少しでもこのグループの魅力を知ってくれて、そのグループに多大な貢献をした彼女のことを知ってくれたのなら、それ以上に嬉しいことはない。
櫻坂46は過渡期である。欅坂からグループの核を創り上げ、未来を切り開いてきた一期生が多数卒業し、これまでキャプテンを必死に務めてきた菅井友香も来月の東京ドーム公演をもって卒業する。一つの時代が終わり、変革をしようと踠いている最中だ。この未来を切り開くために羽化しようとする姿は、この一瞬しか見られない、正に刹那である。少しでも興味を持ってくれたのなら、少しだけでものぞいて見て欲しい。私もそうであったように、転機となる“きっかけ”は本当に些細なものだから。
そんな願いを込めて本文の結びとしたい。
6.あとがき
尾関梨香という最高のアイドルとの最後のミーグリで、私は勝負を持ちかけた。
「この先の人生、おぜちゃんにも幸せになって欲しいですし、自分もそれに負けないくらい幸せになります!」
「そうだね」
「これは勝負ですね!どっちが幸せになるか」
「勝負だねこれは!負けないようにしないと!」
この先の未来が幸せで溢れて欲しいと、世界一幸せになって欲しいと願う相手との負けが決まっている勝負である。
この言葉は受け売りだ。敬愛するアーティストが「どっちが格好良く生きれるか勝負しようぜ!」と放った言葉が大好きだったから。しかし、そこに嘘偽りはない。だからこそ勝負の約束をした。
また、彼女は去り際にこんな約束をした。
7年間お疲れ様でした。心からありがとうございました。
これから先の人生、笑って、幸せに生き抜こうと思います。
KEEP IT REAL
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