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コロナは一体なんだったんだろう。

コロナは一体なんだったんだろう。

最近コロナのことを思い出せない。

実際は報道されなくなっただけでまだまだコロナは流行っていると聞く。

コロナという病気のことがわからないというのではなくて、自分の体験してきたコロナ禍の混乱が思い出せない。

コロナのニュースが報道され始めたのは2020年の年明けだったと思う。あれから丸四年、世界情勢は様変わりしたけれど私はまだ一度もコロナには罹っていない。
家族や身近な人に感染者は出たし、ワクチンやPCR検査もした。自分が感染していないから他人事という訳ではない。少し具合の悪い日が続いたのを調べたら実はコロナだったということだってあるかもしれない。

私にとってコロナは最初からよくわからないものだったし、周囲の反応もそうだった。

コロナのニュースが報道され始めたとき、私は体調を崩して入院していた。(私は精神の持病がある)

最初にコロナに関して病院から注意喚起がされたのは、外出の際、人混みに行かないでください。というお願いベースのものだった。病棟の入り口に貼られた紙を見ながら看護師さんに、コロナって大丈夫なんですか? と尋ねたら、大丈夫という楽観的な意見とやばいと危機意識持ってる人と真っ二つに意見が分かれていると教えてくれた。

まもなく、病棟の出入り口にあった誰でも貰えるマスクが撤去された。看護助手さんが病院にある消毒液の在庫の数を確認したりしていた。
退院する頃には、東京オリンピックを開催するかしないかで揺れ、学校は休校になり、世界各地で非常事態宣言が出た。

不要不急の行動やソーシャルディスタンス、三密に蔓延防止措置と、知らない単語が沢山できた。コンビニのレジにはビニールカーテンがぶら下がり、アクリル板でテーブルは仕切られ、至る所にアルコール消毒が置かれた。
ドラッグストアは常にマスクの棚が空っぽで、ないのはわかっているのにマスクありますか? と尋ねる人がいつ行ってもいた。
皆が手芸屋や100均の布で手作りマスクを作り、コンビニにはマスクの型紙ムックが並んでいた。

同時に歪な時期だった。マスク警察、コロナを巡る誹謗中傷。世界中の誰も正解がわからない未曾有のパニック。死者数がどんどん増えていく。

あれはやはり災害だったと今は素直に思う。
そしてコロナ禍の混乱を思い出せなくなっているのは、私も傷ついていたのではないかと感じるのだ。

当時の私は一人暮らしで家族とは離れていたけれど連絡を取り合い、励まし合っていた。しかし、コロナの危機管理の考え方の違いに頭を悩まされた。
私は家にずっといるのは全然苦にならないタイプで、趣味も料理と読書とインドア。非常事態宣言は多少スーパーが混んで、一部の商品が品薄なくらいで特に困ることはなかった。
しかし両親は家でじっとしてられないタイプで観光客が減って閑散とした京都を観光しまくっていた。なんかこういうとき人間の本性が見えるんだな、と妙に冷静に思ってしまった。
それをまだきょうだいにありえへんな、自分勝手すぎるやろと愚痴こぼせたからいいけど、当時の雰囲気だったらおおっぴらには言えないし、モヤモヤは相当たまった。

コロナ禍で失ったものはなんなのか。コロナが自分に与えた影響は?

わからない。私は趣味で小説を書いてるけど、わかっているのは私にコロナ禍は書けないということだ。私にもコロナ禍はあった。覚えてること、嫌だったこと。それほど生活に影響はなかったことだって私のコロナ禍だ。
でも、自分のなかでどんどん不確かで曖昧なものになっていく。

姉がコロナの影響で失業して東京から帰ってきたのだって、地続きで今に繋がっているのにどこか自分の中では繋がっていない。
いつのまにかコロナ前とコロナ禍が少し落ち着いた頃で記憶が縫い合わされてしまったような、そんな気がする。

何か強いショックを受けた時、思い出せなくなるというケースを時々ドラマなどで見聞きするけれど、私の場合コロナがそれなんじゃないかと思う。
無理にこうやって記事にすることもないかと思ったけれど、もしかしたら明日コロナに罹るかもしれない。そうすると、今現在のコロナ禍を思い出せないという、漠然とした、不安ではないけれど喉のつかえのようなもの。

それが消え去ってしまうのは嫌だな。
そんなことを記録しておきたくて書きました。

#雑記 #コロナ禍

【追記】
この記事を書いた三日後にコロナに罹患しました。皆さまもどうぞお気をつけください。

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