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書けない読めない日々

 小説が行き詰まっている。ちっとも進まないので軽く焦っている。
 文学賞に出すから〆切がいついつ、と追われているわけではない。来年の文学フリマ京都には新刊を出したいと思っているからそれに向けて創作をしている。
 私はとにかく遅筆なのとあまりストックがない。なので何作か並行して制作しているが、ぱたりと途中で止まってしまった。ここ一ヶ月で推敲はしたが、あまりというかほとんど進んでいない。いずれも物語序盤でここから話が展開していくところなのだが一向に展開していく気配がない。
 話題は変わるが、先月生まれて初めてコロナに罹った。しんどかった。今はほぼ回復したがなかなか体調が戻らなかった。そして今でも戻らないものがある。それはやはりというかなんというか創作意欲と読書意欲な訳である。
 本が読めていないわけではない。コロナで療養中、漫画の一気読みをしまくった。ワンピースの未読だったパンクハザード編からワノ国の途中まで電子書籍で手持ちの刊はすべて読破した。(続きはスマホの容量がいっぱいになったのでいつか機会があれば読む)
 今でも活字は軽いエッセイくらいしか読めないけれど漫画ならなんとか読める。というより漫画じゃないとダメだ。視覚的に情報が理解しやすいのだろうか。
 こういうのは以前から時々あって、活字(主に小説)が大量に読めて、なぜか漫画があまり読めないというときがある。その逆もあって正に今である。漫画が読めないのはあまり苦にはならないのだけど、小説が読めないのはつらい。なのでライトノベル を読み返したりして勘を取り戻そうとしている。
 本を買うほうは相変わらず順調に積読を重ねている。読みたいとか書きたいという気持ちだけは変わらずにある。
 ただなんか冴えない。絶妙に冴えない。よく眠れなくてつらいと書いているけど、それと全く同じである。よく寝たら気持ちいいように筆が進めばとても気持ち良いのである。全然捗らなくても一文字でも一箇所でも修正できたらすっきりするのである。こういうのをスランプとでもいうのだろうか。
 読めないなりにエッセイを少し読んでいると書いたけれど、読んでいるのは佐藤正午さんのエッセイだ。その名も小説家の四季。
 二冊出ていて、両方持っているが時系列で古い方を今は読んでいる。書いてあることは小説が書けない、〆切を延ばしてもらった。原稿料を前借りしたとか作家あるあるである。プロでこうなのだから、私が書けなくてあくせくしてるのも当然だなと納得したのだけど、ちょっとした気分転換にはなっても創作の突破口にはならない。
 本があまり効き目がないのならと、手先を変えて映像を観る。今年に入ってから映画館で映画を三本、サブスクで何本か映画を観た。とりあえず情報をインプットをしておこうと必死だ。即効性はないかもしれないが肥やしにはなるかもしれないと思っている。
 しかしコロナの後遺症で小説が書けなくなるとは聞いたことがない。ただの言い訳にしかすぎないのは私がいちばんわかっている。
 元からコンスタントに枚数生産できるタイプではないのだ。継続してイベントに参加したいと目標を持ったので先々のスケジュールができたのに慣れていないだけなのだ。
 ゼロから書けなくてもこんな雑文ならなんとか書ける。きっとまた書き出せる日が来るだろう。また閃きが降りてくるのを願って今日はもう寝るとしよう。

#エッセイ #散文 #雑文

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