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【名盤レビュー】勝手にしやがれ / KYOKUTOU GIRL FRIEND(2010)

勝手にしやがれ / KYOKUTOU GIRL FRIEND

KYOKUTOU GIRL FRIENDの1stフルアルバム。
2007年に結成して、2011年に解散。
爆発的なブレイクを果たしたとは言えないものの、その兆しが見え始め、いよいよ世間が注目しだすぞ、というタイミングで"世界でいちばん美しい解散"を遂行してしまった衝撃は大きく、今もなお、YouTubeでの映像作品公開やサブスクリプションサービスの解禁等、動きがあれば界隈がざわめくほどのカリスマ性を纏っているのである。

彼らの本領は、間違いなくライブの中にあって、オーディエンスとの距離が近くなったインディーズシーンにおいて、ステージとフロアの間に壁を作る突き放したパフォーマンスを徹底。
そのくせ、メディアに頼らず、ステージの上でどのように驚かせるか、話題性を作れるかに貪欲で、毎回、最高のライブが更新されていく目撃者になっている感覚は、ライブハウスという閉鎖空間の瘴気に当てられると、倒錯的な一体感でもあった。
SNSも生まれていた時代に、愚直にもライブに居合わせたオーディエンスの口コミで立ち位置を築いていたのが、KYOKUTOU GIRL FRIENDだと言えよう。

本作は、そんな彼らが残した唯一のオリジナルアルバム。
ライブ盤やベストアルバムも発表されていて、曲目を網羅するだけであればそちらのほうが効率が良いと言えるのだが、強いこだわりのもと、コンセプチュアルに構築されたオリジナル盤は、一味違った魅力がある。
今となっては過激なバンドのお約束となりつつある、国会議事堂を背後にしたアーティスト写真がドカンと掲載されただけで、バンド名も作品タイトルも記載されないジャケットは、大きなインパクトを放っていた。
初回生産分1,000枚は、あっという間に完売。
イチゼロ年代においては希少とも言える重版がかかり、3rd Press盤まで発売されている。

ライブバンドの音源となると、勢いが削がれる、迫力に欠ける、と魅力が薄まってしまうケースも少なくないのだが、そこは戦略性に長けた彼ら。
ライブではライブの、音源では音源の見せ方というのを熟知しており、セオリーを押さえつつ、楽曲がどうやったら輝くかを考え抜いた構成。
ソリッドなサウンドで、うらぶれた世界観を、過激な表現で、というストロングポイントはしっかり主張しつつ、その実、脈々と受け継がれてきた90年代ヴィジュアル系のギミックが下地になっていたり、メロディ部分にはポップセンスもしっかり備わっていたり、と聴き込むことで気が付く要素をこっそり忍ばせて。
ハードボイルドでスリリング、それでいて奥も深い1枚となっている。

不謹慎のカリスマ、Vo.林田倫堕の表現力、Gt.ケッチのテクニックは、改めて聴いても、メジャーバンドに劣ることないハイレベル。
Ba.サリー、Dr.亜門が刻むビートも、ライブのようにテンション任せにスピードを上げたりはしないまでも、ギリギリを攻めて生々しさを帯びていた。
彼らのプロフィールにあるように、"不適切な表現が含まれている為、自主規制。"という決まり文句で片付けてしまう潔さも格好良いのだが、ファンの立場からすれば、そんなお約束に埋もれさせるわけにはいかない、永遠に語り継ぎたい名盤なのである。


  1. 放送禁止のブルース

    わずか2分を駆け抜ける、インパクト重視のパンクチューン。
    イントロに尺を使わず、歯切れの良いサビからスタートし、勢いのままに終えていく刹那的なナンバーに仕上がっている。
    "放送禁止のブルースを唄え"というフレーズの連呼が耳の残り、あっという間ではあるが、しっかり記憶に残る理想の1曲目。

  2. 勝手にしやがれ

    スピード感を引き継ぐ形で、表題曲にバトンタッチ。
    スカのリズムを用いてやさぐれ感を引き立てると、掛け合いによってハードボイルドなスタイルを明確に。
    不謹慎という言葉に象徴される金と欲に塗れたアングラな歌詞は、鋭さを増す孤高なサウンドと、哀愁を帯びたメロディとマッチしていた。
    キャッチーというわけでもないのだが、サビの歌い尻で叫ぶ"勝手にしやがれ"のカタルシスが物凄い。

  3. 完全犯罪

    少し癖のある林田倫堕の歌声は、タイトなリズムによって表現される緊迫感と、その中に滲む哀愁を表現するのにこれ以上ないぐらいハマる。
    そのために生まれてきたのでは、と錯覚してしまうぐらいなのだが、それをもっとも効果的に活かしているのが、この「完全犯罪」。
    テーマにも表れているように、サスペンス性はこれ以上ないほど。
    そのうえで、サビメロは歌謡曲に仕上げており、アンニュイな表情を織り込んだ艶やかな歌唱が、衝動性の中にドラマを見出し、KYOKUTOU GIRL FRIENDを新たなフェーズへ押し上げていた。



  4. テンポを落として、アルバムとしてはアクセントをつける位置づけになるのだが、ヒリヒリと焼き付くスリリングな世界観はそのままに。
    ひとつひとつの音に神経を使っているようなピリついた空気感があって、ゆるいからといって一瞬たりとも気を抜けないのが彼らの音楽である。
    刺々しさを残していたのは伏線でもあり、終盤は怒涛の激しさを見せてくれるので、テンポ感だけで歌モノパートに入ったな、と安易に気を抜くと、まんまと彼らの「罠」に引っかかってしまうからご注意を。

  5. 夜光虫

    彼ららしい渋みを持ったミドルバラード。
    やはりハードボイルドな世界の住人といった表情で、素直なバラードにはなり得ない気怠さを纏っているのが特徴だ。
    ともすれば音が足りなくなってしまいかねない骨太なサウンドだが、無音すら武器にしてしまった形。
    あえて壮大にはせず、ビルに囲まれて狭い空の下にいる感覚は、V系シーン広しと言えど、ここまでリアリティを持って表現しているバンドは少ないのではないだろうか。

  6. 拝啓、売国奴の皆様 靖國の空が哭いています(SYGR MIX)

    オムニバス作品に収録していた楽曲を、アルバムミックスで。
    彼らの右翼的なスタンスが象徴的なタイトルだが、インパクトはタイトルだけに留まらず。
    弾むようなジャズ調のリズムに、しゃがれたシャウトが重なるミスマッチが、多国籍化によって文化が混ざり合っていく様子にオーヴァーラップ。
    どこまで考えて構成しているのだろう、とその奥深さに驚愕するとともに、過激さにドキドキさせられる彼らの真骨頂がここにある。

  7. サヨナラセカイ

    ジャズ要素を引き継いで、ウネウネとしたベースのフレーズからスタートするミディアムナンバー。
    エフェクトをかけて歌声を押しつぶしたり、笑い声を重ねたりといったギミックを取り込みながら、タイトルを呟くだけ、というシンプルすぎるサビには痺れるばかり。
    この渋さ、潔さ、これを完成形とした胆力にも頭が下がる。

  8. 縄と拡声器とヒロイン

    終盤に向けて勢いを取り戻すキラーチューン。
    疾走するリズムと、激しさを打ち出しつつもメロディアスな構成は、シングルカットできそうなキャッチーさである。
    なんなら、"おまえが好きさ 死ぬ程好きさ"というサビの歌詞もベタと言えるのだが、これらを完全にブラフにしてしまうのが気持ち良い。
    "ヒロイン"を"メス豚"と読み替えてのシャウトに滲むカリスマっぷり。
    カタルシスは、ここにある。

  9. 闇を嗤え_警告

    激しさを強調するインストナンバー。
    各パートがせめぎ合うバチバチ感が格好良い。
    閑話休題的なSEにまとまるつもりなどなく、アルバムを構成する1曲として存在感を主張しているかのよう。
    タイトルを台詞調に連呼して、「堕落論」に繋げる演出も担っているが、導入SEと捉えるには贅沢すぎるだろう。

  10. 堕落論(SYGR MIX)

    終盤のピークに合わせて、シングルを切ってくる戦略性。
    生音をひたすらぶつけてカオティックに攻める展開には、ハードコアの要素も見受けられ、アナーキーな雰囲気が良く出ているのでは。
    一方で、サビでテンポを落として、メロディを聴かせる部分には、ヴィジュアル系バンドの矜持もうかがえる。
    どういうメロディが、どういうサウンドが、どういう世界観がこのシーンにおいては刺さるのか、というのを理解したうえで、この混沌を表現しているのだから、悔しいほどに格好良いのも納得せざるを得ないのだ。

  11. 依存

    ここにきて、人間味を感じる歌モノを織り込んでくるのがズルい。
    もっとも、ラスト前にバラードを置くのは定石なのだが、彼らの場合、ここまでずっと扇動者、あるいはそれすら踏み越えた狂人を演じているように見せてきただけに、ここで生々しい感情が浮かび上がるのが、やけに胸に沁みるのである。
    クリーントーンで切なさを駆り立てるケッチのエモーショナルなギターも相まって、感情を揺さぶり続けるロッカバラード。

  12. 樹海

    そしてラストに展開される、王道感たっぷりのメロディアスチューン。
    LUNA SEA以降のトラディショナルなビートロックを踏襲し、ドラムとベースはひたすらマイナーコードで疾走。
    アルペジオを多用したリフでキラキラと装飾して、ヴォーカルラインは叙情的に。
    全体的にダークな雰囲気を醸し出しつつ、サビでは光を見せるという演出も絶妙で、100点満点のヴィジュアル系。
    名盤のラストは、名曲で締めくくられるというお約束に、捻くれた彼らが正攻法から突っ込んできたのが、余計に衝撃的であった。


解散してから10年以上が経過しており、彼らの規模を踏まえれば、CDを持っていないとその音楽に触れられないという状況でもおかしくないのだが、ストリーミングやYouTubeで簡単に聴くことができる環境は整えられている。
その間にスタンダードとなったEDM由来の情報量の多いサウンドに慣れていると、彼らの潔すぎるほどの生音主義は、かえって新鮮に映ったりするのだろうか。
そもそも、彼らの過激性は現代の感覚でどう受け取られるのだろうか。
ある種、時代性を反映しているバンドだっただけに、色褪せないかどうかは判断しきれない部分もあるが、彼らの音楽を聴けば、あの時感じた衝撃は何度でも蘇る。
メインの文脈では語られずとも、リアルタイムを過ごしたファンにとっては、熱狂をもって語られるバンド。
"世界でいちばん美しい解散"によって勢いのあるままに終わらせたからこそ、KYOKUTOU GIRL FRIENDは、おそらく彼らが想像していたであろう立ち位置に君臨しているのだな、と今になって納得してしまうのである。


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