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ちょっと不気味だけどシューベルトのせいで怖くない話

ゴールデンウィークになると、宮城県北部の栗原郡(2005年から栗原市になった)にあるおばあちゃん家に行くのが我が家の決まりだった。
タイミングが合えば、普段は顔を合わすことがない東京に住んでいる従姉妹たちも遊びに来る。
緊張と楽しみが同居する春のイベントだ。

小学校高学年の頃だっただろうか。
ひとつ下の従妹が、とあるポスターに憑りつかれた。
ペンキが剥げた遊具が並ぶ、寂れた公園。
例年通りおばあちゃん家に来ていた僕らは、子供たちだけでそこに遊びに行った。

僕と妹、3つ上の従姉は、複数人乗りのブランコやジャングルジムを使って鬼ごっこをしていたと思うのだが、その従妹だけはずっと片隅にポツンと立つ掲示板を見つめていた。
あまりにじっと動かないので気になって近づくと、そこには、1枚のポスター。
地元の中学生あたりが書いたと思われる、なんてことない交通安全の標語ポスターだ。
音楽室に飾ってありそうなシューベルトの肖像画が描かれているのだが、よく見ると、車を運転している風にアレンジしてある。

「シューベルトもシートベルトをしているよ」。

標語というよりも、駄洒落だ。
面白かったからか、それ以外の何かを感じ取ったのかはわからない。
だけど、従妹はそれに魅入られており、結局その日の公園滞在時間は、ポスターを見つめている時間と等しかった。

従妹は、次の日も、その次の日も公園に出かけていく。
おそらく、あのポスターを見るために。
その年、おばあちゃん家への滞在期間は3日程度。
従姉妹は東京に帰り、この話はこれで終わるはずだった。

しかし、翌年のゴールデンウィーク。
なんとシューベルトは、まだあの公園でシートベルトをしていたのだ。
授業かコンテストで募集した交通標語の寿命なんて、どう考えても1年以内のはず。
なのに、まだポスターがそこにある。
それを確認した従妹は、やはり公園に通うようになった。

さて、おばあちゃん家に来て、3日目の朝だっただろうか。
朝ごはんを食べに下の階に降りて、僕はギョッとした。

居間に、あのポスターがある。
シューベルトがシートベルトをしている。
なんだこれ、どうなっているんだ。

理由を聞くと、いつものようにポスターを眺めていたら、ポスターを貼りかえる係の人が来て、これを剥がそうとしたそうだ。
「それは困る!」と抗議して、結果として、そのポスターを貰ったとのこと。
こういうのって、書いた本人に返却しなくてもいいのだろうか。
あまりに夢中になりすぎて勝手に持ち帰ったのでは、と懸念したが、それは同行したという妹の証言もあり、本当のようである。

何に魅入られていたのかはわからずじまいだが、1年に数日しかいない地の公園で、1年以上掲示されていたポスターを剥がす瞬間に立ち会うというのも、奇妙な縁を感じずにはいられない。

気味が悪いことに、翌年のゴールデンウィーク、従妹はまったくポスターのことを覚えていなかった。
捨てられてしまったのか、おばあちゃん家にも残っておらず、みんなあまり記憶にないようだ。
子供の執着なんてそんなものなのかもしれないが、誰も覚えていないことにモヤモヤを抱えたまま、今に至っている。

ただ、「シューベルトもシートベルトをしているよ」という駄洒落の脱力感に引き摺られ、不思議な体験談として昇華しきれてもいない。
もし、近所の子供をモデルにしたようなデザインであれば、「あの子は実は交通事故で亡くなっていて…」と尾ひれをつけることができたかもしれないのに。

#私の不思議体験

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