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日記「目の境」

視界の輪郭は目の形と同じだろうか?
黒目を動かさないまま、ぼやーっと視界の端に意識を集中させると丸いような気がする。
楕円形だ。
視界において輪郭はあまり大事でない気がする。
上下の輪郭も意識した事がないがどうなっているんだろう。
360度視界があるわけではありませんから、どこかで視界は終わってるはずだけど、その範囲があまり重要ではないような。
なんとなく、上には額までがまるごと目のような感じで認識しているように思える。
上顎から頭蓋骨までがスケルトンの素敵な深海魚・デメニギスみたいなかんじだ。

試しにまぶたを半分閉じて、瞳にまぶたがかかると境目はくっきり見える。
目を開けた状態での輪郭は、意識の境目かもしれない。
映画で多く採用されているシネスコ(1:2.35)という画角は人間の視覚に近いらしいけど、映画のようにバチっと切れてるんじゃなくて、もっとなんというか、触覚に近い感じなのかもしれないぞ。どの範囲を触られてるのか厳密に分かることよりも、それを感じるという感覚そのものが大切だという点などが。

映画もそうだけど、輪郭が問題になるのは今の視界がなんらかの事情で固定されてしまう場合だ。
私たちは見ようと思えば普段360度見ることができるから、あまり目の輪郭を気にしないのかもしれない。

つまり固定される事によってこそ、輪郭が強調されるということだ。それは常に輪郭の外側への想像力を伴うだろう

今や360度どころか、グーグルマップなどを見れば世界中の視界的なものが手に入るし、過去も未来も見ようと思えば見える範囲はどんどん広がっている。でも、つまりそれは輪郭が問題にならなくなり、輪郭の外側を想像する機会が失われて行くという事だ
肝心の輪郭自体はどんどん狭くなってる可能性だってある。

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