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note初めー『ゲンロン0 観光客の哲学』

ご挨拶
2019年、そして4ヶ月だけの平成31年、あけましておめでとうございます。

そして、初めまして。
note、初めての投稿です。

坂奈欧祐、さかなおうすけ、男性、偽名です。
都内で、執筆や創作といった類の営為とはあまり関係のない仕事をしています。
愛想はいい方ですが、大事な話では口ごもりがちです。

追い追いここにも書いていく予定ですが、いろんなことがあって、
ちょっと素性を知られぬまま、日々の考えごとを綴ってみることにしました。
前に本名でアメブロをやってたころから、約6年ぶり。探り探り。

考えごとの契機は読書であることが多いので、本のことを多めに。
もちろんそれ以外のことも、楽しめるように、楽しんでもらえるように。


『ゲンロン0 観光客の哲学』東浩紀(2017,ゲンロン)

年の瀬ぎりぎりに引越しをして30日の深夜まで仕事をしていたので、
明けて元日と2日は荷物の片付けに追われることになったのだけれども、
しかし本という荷物は詰めるときにも解くときにも「寄り道」の誘惑が抗いがたく襲ってくるもので、今日は『ゲンロン0』のそれにあっけなく呑まれてしまって。

思想家・批評家の東浩紀氏が、自ら経営する出版社・イベント会社である株式会社ゲンロンから2017年に発表し、毎日出版文化賞を受賞した作品。
もとい、厳密には経営「していた」というのが正しく、2018年末に氏は代表を辞任し、プレーヤーに専念することに。

実は私は2015年から「ゲンロン友の会」の会員で、昨年10月からの第9期は諸般の事情から更新ができなかったのだけれども、この辞任劇に関しては、サポーター目線でいうとやや戸惑いはありつつも、必然であったようにも思う。

東浩紀という人のエネルギーは、やはり会社経営よりも思想の方に注がれるべきだと、この作品を読むと改めて思い知らされるから。

21世紀の新たな連帯のために

ここで本書のすべてを要約する力は私には到底ないのだけれど、本書の問題意識は次のような箇所によく表れていると思う。

二〇一七年のいま、人々は世界中で「他者とつきあうのは疲れた」と叫び始めている。まずは自分と自分の国のことを考えたいと訴え始めている。他者こそ大事だというリベラルの主張は、もはやだれにも届かない。 
移民・難民の排斥が行われヘイトが蔓延する状況に対して、リベラルによる「人権」や「寛容」といった正しくてまじめでまともな主張は、あまりに無力になっている。
フェイクニュースに対してファクトを突きつけたところで、フェイクの拡散と感染は止められない。リベラル的な「正しさ」では、この分断は乗り越えられない。これは海外だけでなく日本国内の状況も同じで。

そこで連帯の担い手として構想されるのが、快楽を求めて欲望のままに旅をする、リベラル的な正しさとは無縁の「観光客」。「出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え」る観光客。その偶然性に、新たな連帯の契機を見るのだ。
東氏はリチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』を引きながら説明する。

彼の考える連帯をつくりだすのは、「あなたは、わたしが信じ欲することと同じことを信じ欲しますか」という問いではなく、すなわち共通の信念や欲望の確認ではなく、単純に「苦しいですか?」という呼びかけなのだと述べている。たまたま目の前に苦しんでいる人間がいる。ぼくたちはどうしようもなくそのひとに声をかける。同情する。それこそが連帯の基礎であり、「われわれ」の基礎であり、社会の基礎なのだとローティは言おうとしている。

そしてこれがルソーの哲学にも通じるものであることを述べ、

観光客の哲学とは誤配の哲学なのだ。そして連帯と憐れみの哲学なのだ。ぼくたちは、誤配がなければ、そもそも社会すらつくることができない。

と結ぶ。


哲学の本で泣けるなんて

白状すると、最初にこの部分を読んだとき、泣きそうになったのです。
よくわからないけれど多分、成熟した人間でなくたってかまわない、みんな弱くたってかまわない、ただ、目の前で苦しんでる人は助けたくなるよね?
っていうやさしさのせいかもしれません。

「熟議」や「公正」などといった、賢くて強い個人の能力を求めてきた従来の哲学とは明らかに一線を画しています。

私は基本的にダメイスト(「ダメで何が悪い」と声高に宣言する人)なので、ダメな人がダメなままでも生きられる社会を求めています。
それでないと自分が生きられないからですけど。

この本、実はこのあと「家族の哲学」という第2部が控えていて、そこでは「不能の父」というまた不完全な主体が肯定的に語られるのですが、この話はまたどこかで。

本当はこんなエモい感じで拾い読みされるべき本ではまったくなくて、学術的にも大変価値あるものであることは各方面から評価されてるところなのだけれども、とにかく多くの人に救いと希望を与えるであろうこと請け合いです。

平成最後の年の最初の、そして自分のnoteの最初の、そのページを飾るのにこれ以上なくふさわしい名著だと、そう思うのでした。

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