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私が図案家の仕事を40年間続けられた理由。

ご覧の写真は今から40年前、着物の図案家として10年の修行の後、独立展(個展)に出品した図案(絹本に手描き)の中の一部です。

絹本に手描きした図案
絹本に手描きした図案

お恥ずかしくも未熟な作品ですが、28歳の情熱だけは伝わって来ます。

さて、この個展は、業界に成願が独立したことのアピールとPRを兼ねた私にとっての一大イベントでした。この展覧会の成否がその後の運命を決めると言っても過言ではありませんでした。

開催日程と会場も決まり、いよいよ作品を仕上げて行く段階になり、私は自分の重大な欠点にハタと気づき、筆が進まなくなってしまいました。

これまで、弟子時代に描いていた図案は、大島紬などの織物の図案、浴衣の図案、着尺の図案、といったカジュアル系のあまり色数を使わない、同系色、または単色系の図案ばかりで、多色の華やかな振袖の様な図案は一度も描いたことがなかったのです。
でも、独立して開業するからには振袖や訪問着などの華やかな絵柄を描きたいという気持ちはどうしても捨てられません。

ところが振袖などの配色の基本が全く解っていませんでした。

何しろ図案は手描きで、加筆のできない絹本に描くのですから。現在のようにパソコンで着色するのとは訳が違います。

「とりあえず着色してみる」ということができないのです。
どんな風に配色して良いのか分からず、途方にくれました。

私は独立前に、早くも窮地に立たされたのです。

ところが、何日かして、この窮地から「天の声」に助けられたのです。

その時の天から降ってきた「ひらめき」の一言は、
「だったら、あえて色は使うな」でした。

独立展で会場に展示する図案の枚数目標は、50点。

私は既に描き始めていた作品を破り捨て、作品全てを白黒の世界(金と赤は使った)に変更しました。


そして、結果は・・・・・
ありがたいことに、なんと、独立展は大成功で、図案はほぼ完売いたしました。

当時としては、このモノトーンの世界は来場者(和装製造業社及び問屋)が見たこともない世界で、とても新鮮に映ったのでした。

誰も、本当は私が色を使えないとは知らず、当時の私の実力以上の過大な評価をいただきました。

この時私が偶然やったことは、リフレーミング(視点変更または、視点逆転)』だったのだとその後何十年か経って判りました。

多色にしなかったことで、描く時間もおそらく2分の1に短縮できたと思います。
もしも苦手な色を見よう見まねで使っていたら、間違いなく大失敗の独立展だったと思います。もちろんその後の人生も変わっていたと思います。
その成功がなかったら、40年後の今の私はなかったのだと思います。

この成功が自信となった為、大きな教訓を得ました。
そしてその後、幾度となく訪れた苦境も乗り越えられたんだと思います。

私が50年も着物のデザイナーの仕事一筋でこられた最大の要因は、絵の才能でも人一倍努力したわけでもなく、この「リフレーミング」と「パースペクティブ・テイキング(相手の立場になって考える)」思考ができたからだと断言できます。

これも後から分かったことなのですが、「天からの声」を聞く為の大前提は「自己のエフィカシーが高い」ということなのです。

つまり、「成功した数十年先の未来を明確にイメージできていること」です。

その時は、個展のその先の未来の成功するイメージしかなかったのです。
脳はそれを現実化するために働いてくれたのですね。

気がつけば弟子の頃から数えて、この道50年、独立して40年。

感謝。

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