伊達政宗㉘

「されど」
と、政宗は声を励まして言った。「未だ百万石のお約束は果たされており申さぬ」
秀忠はきょとんとして、本多正純と目を合わせた。そして、
「わっはっは!」
と笑った。
「少将殿は豪儀な御方じゃ」
と、正純も笑った。
「お若いの、ご覧じられよ。加増はこうやってねだるのじゃ」
と、政宗も笑った。
蒲生秀行も笑っている。
政宗は道化を演じることにした。
(話はわかった。儂にとって脅威はない。されど百万石の話は別じゃ)
政宗は、徳川家にとって「困った人」を演じようとしている。
徳川家による新しい政権は、未だ天下を治める公的な地位を得ていない。しかし、
(これはよほど堅固な天下じゃ)
とは、政宗も思っていた。よほどのことがない限り、徳川の天下は崩れない。
その徳川の天下を、政宗は揺さぶりにいく。
それも、破滅のリスクを回避しながら。
かつて家康は、秀吉にとって潜在的な脅威だった。
家康は律儀を装っていたが、家康の勢力で、秀吉の前で腹黒さを見せたら、相当の悪党に見えただろう。
かつての秀吉にとっての家康の立場に、政宗はなろうとしているのだが、いかに伊達家が奥州一の勢力でも、秀吉時代の家康の勢力とは比較にならない。
(背伸びするのじゃ、背伸びして道化を演じるのじゃ)
道化を演じるくらいでなければ、政宗は存在感を出せない。
たとえ諸大名に笑われても、そこに愛嬌を感じれば、あるいは
(次の天下は伊達か?)
と思う大名も現れるかもしれない。
(さて、これから忙しくなるぞ)
「そうじゃ、正純、あれを」
と、秀忠は正純に言った。
「はっ」
と正純は言って襖を開けたが、誰もいない。
「ーー待ちくたびれたようで、探して参ります」
と正純は言って出ていった。
「全く……」
秀忠が苦虫を噛み潰したような顔をしていると、しばらくして正純は、一人の男の子を連れてきた。
さらにその後ろから、一人の壮年の男が入ってきた。
「ささ、辰千代様、こちらへ」
と正純は言った。
(辰千代?)
政宗の娘の五郎八姫の婿となる、後の松平忠輝である。
「おお!これは婿殿、お初にお目にかかる」
政宗は軽く頭を下げた。
「ーー大崎少将でござるか?」
辰千代は言った。色黒の、活発そうな少年である。
「いかにも、大崎少将でござる。人呼んで独眼竜とも申す。以後お見知りおきを」
戦国時代の人は、こういうところ照れがない。
「それで少将殿、五郎八姫はなぜごろはちと書くのじゃ」
辰千代は言った。
「はっはっは!」
場にいた全員が笑った。年なりに、許嫁のことが気になるらしい。
「いやなに、それがしが無調法者でござってな。男の名前しか考えておりませなんだ。されどごろはちではなくいろはと読み申す。名前の通りしとやかに育っており申すゆえ、ご安心めされよ」
と言って、一座はまた笑った。
「ーー少将殿、飛騨殿、ご紹介が遅れ申した」
と秀忠が言った。「大久保長安、辰千代の附家老じゃ」
「大久保長安でござりまする。以後お見知りおきを」
長安は丁寧に頭を下げた。
「これは婿殿の附家老でござるか。これはこれから色々ご相談せねばなるまい」
と、政宗も頭を下げた。
(どうやら、この場の主役は儂のようじゃな)
蒲生秀行は、秀忠に頼まれてこの場にいるのだろう。しかし秀行も、家康の三女の振姫の婿である。そういう事情でもこの場に同席している。
「武蔵深谷はどのようなところでござるか?」
政宗が尋ねた。武蔵深谷で、辰千代は1万石を領している。
「それが此度、辰千代様は下総佐倉5万石に御加増になりましてな」
と長安は言った。事実、辰千代はこの年の12月に佐倉に転封になっている。
「ほう、それはおめでとうござりまする」
政宗は辰千代に祝いの言葉を述べた。
「いやなに、まだまだ増え申しますぞ」
そう言って長安は笑った。
「それがしは石見銀山の代官もしておりましてな」
と長安は言った。
(ふむ?)
政宗は引っかかった。
(なぜ今この時に銀山の話をーーそれに石見銀山?)
石見銀山は、当時の日本最大の銀鉱山である。
この時代、日本はまだゴールドラッシュではない。
戦国時代の多くの大名や秀吉の富は、銀鉱山、つまりシルバーラッシュによるものである。
この時代、ヨーロッパにフッガー家という豪商がいた。
ヨーロッパの王家に金貸しをするような富を誇っていたが、メキシコでポトシ銀山が発見されると、銀の価格が低下して、フッガー家の家運が傾いた。
いわば世界中でシルバーラッシュが起こっていた。
ところが日本は、当時世界の銀の3分の1もの産出量を誇っていたのである。その日本で最大の銀産出量を石見銀山が担っていた。
秀吉も、全国の金山銀山を直轄地にしていたが、実際は産出された金銀の一部を献上させていただけだった。
こんな話がある。
九州に南蛮船が到着したという知らせを受け取ると、秀吉は大坂城から米を石見に運ばせ、石見銀山で米を銀に代え、その銀を九州に運んで南蛮船から木綿を買い、大坂で木綿を売って大儲けした。
このことで、秀吉が銀山の全ての銀を献上させていなかったことがわかる。
それでいて、ちょっとした商売で秀吉は大儲けしているのである。
(銀山の代官は、請負制じゃな)
請負だから、産出量が多いほど、代官の収入は増える。
しかも、この大久保長安が、これから日本にゴールドラッシュをもたらすのである。
「少将様は江戸で遊ばれたことがござりまするか?もし良ければ、この長安がご案内致しまする」

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