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飲み会もできない

 昨今のコロナ自粛の中で、街中の居酒屋とか飲食店がほぼほぼ閉店するようになってきていて、外で飲める場所がなくなってしまっている。
 私なんかは、こういうのは非常にいい流れだなーと思いながら、世の中を眺めている。
 もっと早く、私が若い頃にこういうことになっていればよかったのにって思う。

 会社の仲間内でやる飲み会というやつが、どうしても苦手、というか嫌いだ。
 私が若手だった頃は、飲み会に対して強制的な自主参加(?)が求められるような空気が職場内に流れていた。どうしても参加したくなかった私は、飲み会の参加費だけ払っておいて、実際にはぶちって参加しないということを何度も繰り返していた。あれは周囲の人間からすると、あまりいい気はしないようで、当時は相当ひんしゅくを買っていたように思う。
 その後、何度か転職して色んな会社で働いてきたが、飲み会が定期的に義務的に開催されるような会社に入ってしまった時は、それが嫌だという理由で退職したこともあるくらいだ。
 そもそも、なんで一日中、職場内で顔を突き合わせているのに、業務時間外にさらに2時間くらい余計に顔を突き合わせるということをしないといけないのだろうか。別にたいして仲が良いわけでもないのに、そんな場所で2時間以上も滞在するのは、私にとっては耐えることのできない程のストレスだったのだ。
 それに、飲み会をやる必要もないのに、惰性でやっているような感じがすごくして、それも嫌なんだと思う。イヤイヤやらされている学校の行事みたいな気がしてくるのだ。いい大人が何をやっているんだか。

 一方で、職場を離れたプライベートの飲み会に対しては、私は全く抵抗を感じることはない。それどころか、自分で幹事役をかって出ることすらあるくらいだ。
 普段あまり話す機会のない、別業種・別世界の人と顔を突き合わせるのは刺激になっていいと思うし、そこに対して時間とお金を投資する価値は十分にあると思っている
 今これを書いていて思い出したのだが、実は知り合いに、乳がんを患っていて余命宣告を受けている人がいて、昨年末にその人も含めて久しぶりに飲み会でもやりましょうかみたいな話が、ラインのグループトークで流れてきていた。
 なんとなくみんな面倒くさかったのか、結局飲み会はやらなかったのだけど、今考えてみると、その人が余命3年だと宣告を受けたのが、ちょうど3年ほど前のことだった。ということは、その人ともうお会いすることができなくなってしまうかもしれないのだなと、そういうことに気づいてしまった。
 今、世の中がこんなことになってしまっているので、それだったら昨年末に飲み会でもなんでもやっておけばよかったなって、少し後悔している。

 こんなふうに考えていると、飲み会ができなくなって歓迎する気持ちと、逆にやっておけばよかったという後悔と、色々とないまぜになってごちゃごちゃした気持ちになってくる。
 世間では、コロナが終息するまでに2〜3年はかかるとか、あるいはもう終息はせずに共存の道をたどることになるかもしれないなんてことまで囁かれている。
 今はまだ普通にできていることが、今後できなくなってしまう。そういうことを今のうちに予測して手をうっておいた方がいいということが、結構身の回りにありそうだ。そう思ってしまう。

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