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斜に構えた感想は冷静さの表れではなくバカの表れ

 「斜に構える」という態度が実は冷静さを失わせているのではないか、というお話。

斜に構える(しゃにかまえる、はすにかまえる)
剣道で、刀を斜めに構える。
身構える。改まった態度をする。
「風上へ―・え、糸のように目を細くして立ち竦んでいる」〈里見弴・多情仏心〉
物事に正対しないで、皮肉やからかいなどの態度で臨む。「世間に対して―・える」

コトバンクより

 記事を書く前に言葉の意味を調べてみました。元々は良い意味だったんですね。勉強になります。本稿では3番目の「物事に正対しないで、皮肉やからかいなどの態度で臨む。」の意味で用います。

■「斜に構える」のって冷静?

 熱い想いが込められた感想よりも、斜に構えて書かれた感想の方が冷静に思える。僕はそんな思い込みを抱いていましたが、ある感想文を読んで考えを改めました。

 斜に構えて鑑賞した人の感想を読むと、ストーリーに関していくつか勘違いしている部分を見つけました。おそらく先入観があったために思い違いをしたり、作品への没入度が浅いために本質を受け取ることができなかったのでしょう。

 斜に構えるとなぜ冷静でいられないのか。その4つの原因をひとつひとつ考えていきたいと思います。

 ・追究しない
 ・かたよった見方をする
 ・粗を探そうとする
 ・認知バイアスに掛かる

・追究しない
 斜に構えている人は作品について追究しようとはしません。なぜならすべてわかり切ったことであると思っているからです。深く探ろうとしないため、作者のミスリードにも引っ掛かり、しかも引っ掛かったことに気付きません。
 結果、浅い感想が生まれます。

・かたよった見方をする
 斜に構えている人は素直にメッセージを受け取りません。そしてかたよっています。そして自身がかたよった見方をしていることに気付きません。自分が正しいと思っているからです。

・粗を探そうとする
 自分は正しく作品の方が間違っているという思考なので、作品を見る時は粗探しとなり純粋に楽しめていません。「粗があるはず」という思考になっているため、作品上あえて設置している違和(ミスリードや説明の少なさなど)を粗だと断定し、その粗について語り始めます。
 そのため実際に鑑賞した人たちとの間で、感想の方向性が違ってしまいます。

・認知バイアスに掛かる
 自分は正しい。作者は馬鹿だ。このようなスタンスのため、認知バイアスに掛かっています。作品が面白いと思ってはいけない、というスタンスでもあるため、正常に作品を認知できません。

 以上の4つが僕の気付いた「斜に構えて鑑賞する者が冷静さを欠いている理由」です。
 ではファンの熱い文章はどうでしょう。冷静さを欠くのでしょうか。


■熱い文章こそ冷静に書かれる

 逆に興奮のまま書き殴った文章の方が信頼度が高まるのではないか、と推測します。作品への愛が深いため間違いがあってはならないと慎重になるからです。
 鑑賞時は興奮状態にあり、そのまま文章の執筆へと移るため、熱量が高まっています。
 ですが文章の内容や構成、作品への理解度なども熱量に合わせて高まっていると感じます。
 つまり冷静さを兼ね備えているのです。

■バカだから斜に構えるのでは?という推測

 言葉が過ぎました。
 バカという言い方はよくないですね。
 言い方を変えます。

 作品を理解する知識も能力も無いのに、さも作者のメッセージも世界設定もすべて理解出来ると思い込めるその程度のセンスだからこそ、斜に構えられるのではないでしょうか。
 作者に敬意を払えないのは、作者の偉大さを感知できないほど小物だからでは?
 「自分が考え及ぶ程度のミスや粗を残すはずが無い」とみじんも思わないのは、自信過剰であり視野狭窄でもあるでしょう。

 SNSとかで他人をあざ笑うスキルばっか使ってっからそんな低俗な振る舞いになるんだよ。
 「日々誰かを見下したくてしょうがない」ってプロフィールに書いとけ。
 つまんねー人間になってるって気付けよな。
 つまんねー人間が素晴らしい作品に対して何言ってもノーダメージだから今すぐやめた方が良いよ。
 自分よりすごい人だらけで、作品の真意を見抜けなくてまだまだ不勉強だ、くらいに思っておけって。

 作風が合わないとか、そもそも作者が嫌いとか、それならそれで良いんですよ。
 個人の趣味嗜好の話なので、それは変えられないでしょう。

 でも「作品を作り上げた」ということに対して敬意を払わず、粗探しをして、「ただ自分が作者を嫌いなだけ」というの隠して「自分は頭良いからすべて見通せる」というのを全面に出して攻撃するのは頭と性格が悪過ぎます。
 そして自身の無能さを露呈させるだけです。
 作品評のフリをしてもみんなに見抜かれてますよ。

■まとめ

 批評は難しい。とても強くそう感じます。
 冷静さ、造詣の深さ、博識さ。他にも色々なものを兼ね備えていなければなりません。
 「ただ嫌いなだけ」では底が知れる。
 批評は作品も自身も高めるようなものでなければならないと僕は思います。

 そもそもな話なんですけど、企画立ち上げから劇場公開までに様々な人が関わっている作品に対し、一回見ただけで貶せると思えるって傲慢だと思いますよ。
 まぁそういう性格が悪くてつまんない人間には誰も寄り付かなくなると思いますけどね。
 せいぜいネットでほざいててください。

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