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ディスコミュニケーションで社会は不幸になる

 石丸伸二氏に代表される対話スタイルが話題です。
 いわゆる論破に特化した話法で、実際は話の内容に向き合わない(相手と対話しない)ことで優位さを演出する振る舞いです。
 議論することよりも質問者をあたふたさせることで自身が優位であると見ている人に錯覚させる技術、と言い換えることも出来るでしょう。

 つまりはディスコミュニケーションです。
 本稿はタイトルに掲げました通り「ディスコミュニケーションで社会は不幸になる」という内容です。 

■コミュニケーションの意味を知ろう

 まず始めに、コミュニケーションとディスコミュニケーションの意味を『コトバンク』から引用します。

 ●コミュニケーション
社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。

 ●ディス‐コミュニケーション
意思伝達ができないこと。コミュニケーションが絶たれた状態。

コトバンクより引用

 言葉の意味にすでに答えが出ています。
 ディスコミュニケーションで社会が不幸になるのはなぜか。
 それは「社会生活を営む人間が使うコミュニケーションが断たれてしまうから」です。

■社会より論破の快楽を優先する人たち

 対話の意思を示さない。
 相手の質問の真意を読み取ろうとしない。
 相手の発言の揚げ足を取ることに集中する。

 このような態度の人物と対話する気が起きますか?
 僕は無理です。というか時間が許すならばいつまでも問い詰めて矯正します。
 質問者が質問した事実(例えば「負けて2位」、など)に対し、自身の価値基準を優先し質問者の質問の仕方が悪いのだと突き放す話法(例えば「負けたのは都民だ」、など)が広まると社会は壊れます。

 この振る舞いは相手の存在を無視するという尊厳を傷つける行為です。
 通常の振る舞いですと、同じ質問をされたと感じたらこちらの回答の仕方が良くなかったのだと自省し、相手にわかりやすい言葉に変換してお伝えするでしょう。
 それか質問の捉え方が間違ったのだとして、「このように受け取った質問なのですが違いますか?」とお互いに修正し合うでしょう。
 それを「また答えなきゃいけないんですか?」と相手の理解力に非があるかのように追い詰めるやり方はいけません。
 なぜならコミュニケーションは対決ではないからです。
 勝者も敗者も無い。お互いにゴールに向けて組み立てて行くものです。

 お互いにゴールに向かうことよりも、自分が勝者であるかのように演出するディスコミュニケーションを続けていると仲間を失います。

■ディスコミュニケーションの傾向と対策

 対策としては無視が一番なのですが、無視できない状況もあるでしょう。
 そういう時は「質問の芯を図太くする」というのが効果的です。
 ディスコミュニケーションをする人はうやむやにしたがります。
 なぜなら答えたくない質問だからです。
 質問の中から単語を拾い、それに類することを言って煙に巻こうとします。 

【例】
質問者「好きな食べ物はなんですか?」
ディス「なぜ私が食べる前提なんですか?」
質問者「何がお好きか聞きたいだけなのですが」
ディス「ですから何度も言わせないでください。私が食べる前提で話を進める理由を教えてください」

 マジでこの世か(以下200字検閲)裂いてやりたいですね。

 例にある通り、ディスコミュニケーションでは「食べ物」という単語から「なぜ私が食べなければならないのか」と話題をずらして言いがかりをつけてます。
 ある意味ヒトコワです。

 これに対応するにはどうするか。
 質問者は「好きな食べ物が知りたい」わけですから、この芯を図太くしてどっしり構えれば良いだけです。
 この例で言えば「食べるかどうかは聞いていません。食べなくて良いので好きな食べ物をお答えください」というような。

■社会にとどまろう

 まとめです。
 ディスコミュニケーションが蔓延すると社会が不幸になります。
 もちろんディスコミュニケーションをする人も不幸になります。
 社会はコミュニケーションが前提だから当然です。

 「論破してやった」「言い負かした」「答えられないでやんの」など自分一人だけ気持ち良くなってしまう「論破依存症」とでも言うべき状態から脱しましょう。
 そして「論破依存症」の人には、「それは論破でもなんでも無くディスコミュニケーションを引き起こしてるだけだ」と指摘してあげましょう。

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