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尊敬ベースと蔑視ベースの幸せ比較
コミュニケーションを取る際、あなたは「尊敬ベース」でしょうか、「蔑視ベース」でしょうか。
結論から先にお伝えすると、「尊敬ベース」の人同士の関係性は幸せになれるのに対し、「蔑視ベース」の人がコミュニケーションに関わっているとその環境は幸せになれない、という内容の記事です。
「尊敬ベースのコミュニケーション」というのは相手を尊敬することが土台になっているコミュニケーションの構えです。
相手のスキルや思考、思想、いろんなものに対して尊敬の念を抱いていて、その上で関わり合います。
「蔑視ベースのコミュニケーション」というのは相手を見下していることが土台になっているコミュニケーションの構えです。
相手のやる事なす事すべてに対して下に見ていて、その上で関わり合います。
■ 幸福な組み合わせとは
「尊敬と尊敬」の組み合わせは幸福です。
お互いに良いところを尊敬し認め合っているからです。
わかりやすいですね。
夫婦や親子、親友などに置き換えて考えてみると実感しやすいでしょう。
これが「尊敬と蔑視」になった途端幸福は離れていきます。
一人でも蔑視ベースの人がいると、もうその環境は沈みます。
(「蔑視と蔑視」は言わずもがな。ひがみ合い、ののしり合いです)
■ アンバランスが環境を壊す
なぜ蔑視ベースが一人でもいるとダメなのか。
それは「尊敬の供給バランスが悪いから」です。
尊敬ベースの人は、相手を尊敬し続けますが、それは尊敬に値するからこそです。尊敬できないと判断したら関係を断ちます。
こちらが尊敬しているのに、相手からは蔑視されているとしたら関係を続けることはできません。
尊敬ベースの人は洞察力に優れているため、相手の良いところを見つけるのが上手です。それゆえに相手のダメなところを見つけるのも上手なのです。
見下されている。舐められている。調子に乗っている。このようなものを敏感に察知します。
一方蔑視ベースの人は基本的に自分より優れていないと思いながら接していますので、相手の事を理解出来ているし、相手より自分の方が尊敬されるべき存在だという認識を抱いています。
それゆえに自身が蔑視ベースでいることに鈍感です。おそらく気付いていない人も多いでしょう。「見下しているのではなく正当な評価をしているだけ」という考えだからです。
蔑視ベースの人は自身への尊敬を欲します。
誰も見る目が無いから自分のことを尊敬しないのだ、という思考にハマりがちです。
■ 尊敬ベースと蔑視ベースの比較
尊敬ベース 敏感 相手を褒める 信頼 自責 ギバー(贈与)
蔑視ベース 鈍感 自分を褒める 不信 他責 テイカー(奪取)
どちらが幸せになるか一目瞭然でしょう。
そしてなぜ一人でも蔑視ベースが居ると環境が壊れるのかもお分かりでしょう。
人の心というのはリソースが限られています。
何に時間や体力や精神力やお金を使うか、というリソースの配分を決めなければなりません。
心のリソースを贈与し合う関係は長続きします。奪取する人がいる環境はやがて崩壊します。リソースが足りなくなるからです。
■ まとめ
あなたは尊敬ベースでしょうか。それとも蔑視ベースでしょうか。
自身を振り返ることでこの先の未来は幸福が待っているでしょう。
もし不幸だと認識しているのならば、もしかしたらそれはあなたが蔑視ベースだからかも知れません。
誰かを尊敬することから始めてみませんか?
※最後までお読みいただきありがとうございます。
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