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【映画】『凪待ち』はなぜ観る者の感情を掻き乱すのか

香取慎吾主演『凪待ち』は震災後の映画だ。

印刷所をリストラされた郁男(香取慎吾)は内縁の妻の亜弓(西田尚美)とその連れ子美波(恒松祐里)と共に、亜弓の実家である石巻市に移り住む。

ある日亜弓が無惨にも殺されてしまう。
後悔から逃れるためか、ますますギャンブルにのめり込む郁男は徐々に壊れていく。

キャッチコピーに騙されては行けない。
この映画は犯人探しではない。
その証拠に主人公は犯人を追うわけでも復讐に燃えるわけでもない。
ただダメ男を促進させていくだけだ。
(この映画を見ていなくても誰が犯人かあなたはわかるはずだ。あえてそのようにキャスティングされている)

何度も繰り返し描かれる「震災後の石巻」が示すように、この映画は震災後の日本を描いた映画だ。

そしてこの映画は、あえて混乱を生じさせるような構造になっている。
内縁の妻が理不尽に殺される。
男は復讐に燃える訳でも無くギャンブルにのめり込む。
こんなダメ男に優しく手を差し伸べる人がいる。
そのお金もギャンブルで溶かす。
亜弓が夢に見ていた旅行のためのへそくりをもギャンブルで溶かす。

テレビドラマであれば、改心したり血縁を越えた家族の絆が強くなるようなエピソードが盛り込まれているのに、ことごとく外していく。
そこで観客は気付く。
「これは今のこの社会そのものじゃないか」と。

震災以降日本は、理不尽ですでに大部分が壊れてしまっていることが日々露呈している。
みんなが「こうなるだろうと思ってた」のに「こうならなかった」の連続だ。

そんな状況なのに、この映画で一番大きく深い人物として描かれる亜弓の父(吉澤健)は「海は全てを奪ったんじゃない。生まれ変わらせたんだ」とつぶやく。
最愛の妻を奪った海に対してだ。

ここでタイトルの意味がわかるだろう。
この社会は理不尽な渦が襲い掛かってくる。そして大切なものを奪う。
それでもじっと凪ぐのを待つしかない。
掻き乱された社会の中で、奇跡的に誰かと出会える、かもしれない。

ラストの婚姻届のシーンからエンドロールに移る流れが素晴らしい。
ぜひ『凪待ち』のタイトルの意味を噛み締めながら最後まで見ていただきたい。

大切なものを奪われた男香取慎吾だからこそ完成する映画だ。

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