私が店舗経営をはじめた理由
はじめまして。
坂本ヒロキと申します。
美容室経営を始めてもうすぐ3年、まだまだ新米の経営者です。
美容室はとても多く、数だけで言えば「コンビニの3倍」「信号機よりも多い」などと言われています。
それだけ競争が激しい中で、さらに店舗が増え続けている業界です。
「美容学校を出てから技術を磨き、美容師として一人前になったら独立する」
このようなストーリーが一般的ですので、店舗が増えるのも当然の事と言えます。
一生懸命技術や接客を磨き、将来自分の店を持つ事ができるとなると、一見サクセスストーリーのように見えます。
しかし、美容師を続けていく中で周りから聞こえて来る経営者の声は、そんな現実とは大きく異なるものばかりでした。
もし生まれ変わったら絶対美容室経営はしない
20代の頃に勤めていたオーナーが口癖のように言っていたのが
「生まれ変わったら絶対美容室経営はしない」
というものでした。
タラレバの話でもあるので、当時は半分聞き流していましたが、そのオーナーの表情から、美容室経営が厳しいものであるという事だけは伺う事ができました。
そして、次第に周囲の美容師仲間からも似たような話を聞くことが多くなってきました。
勢い良く3店舗展開していた美容室が、2店舗閉めて1店舗になっている話や、スタッフが30名以上いた美容室が今やオーナー1人になってしまった話など、耳を疑うような話ばかりでした。
「実際にやってみたい」という思い
知り合いの美容師と飲みに行くたびに、そのような話ばかり聞いていた私は「実際に自分でやってみたい」と思うようになりました。
持ち前の、極端な"あまのじゃく"の性格が姿を現し始めたのです。
何につけても「慣例通り」が嫌いな私は、閉鎖的な美容業界の習慣の多くに疑問を持っていました。
太古の昔から変わっていないであろう「お客様へのお声がけ」の内容や、美容師が必ず発する接客用語など、ホスピタリティとは名ばかりの接客スタイル。
そして、古き良き昭和の時代の師弟関係の名残りが強く残る組織図。
さらには、自動販売機のジュースの価格さえも変わっている時代に、全く変わることのないサービス価格。
これはほんの一部にすぎません。
先人達の功績は偉大ですが、本当の意味でそれを受け継ぐには、"変化"をさせなくてはならないと感じていたのです。
「ドンマイ」と呼ばれた過去
私は、超平凡な人間です。
組織に属していた時は「ドンマイ」というニックネームでした。
コンプレックスを抱えやすく、接客向きの明るい性格ではありません。
さらに、誰よりも不器用で、さらに人間関係まで不器用という、誰が見ても「経営者」として成功するようなタイプでもありません。
「大丈夫か?」というくらい気も利きません。
しかし、「実際にやってみないと気が済まない」という一面があります。
そんな一面が店舗経営を始めるきっかけに繋がったという事になります。
もうすぐ3周年を迎えるにあたって
私は、顧客を連れての独立ではなく、神奈川から長野へUターンし、コネなし、顧客なしの開業でした。
19歳で上京して37歳のUターンでしたので、ほぼ縁もゆかりもない場所で開業した事になります。
さらに、開業する2ヶ月前に長男が誕生し、同時に車が壊れて新車を買うという、無計画にも程がある、まさにドンマイ状態での開業でした。
そんな私ですが、経営を始めてからもうすぐ3年になり、現在は2人のスタッフを雇用しながら2020年からは法人として活動する事になりました。
情報社会である現代において、経営ノウハウは溢れています。
そんな中でも、自ら実践し、成功したものや失敗したもの、失敗から成功に繋がったものなど、様々な実体験をこのnoteで残していきたいと思っています。
私は、あなたが思い描くような「できる経営者」ではありません。
あくまで「ドンマイが頑張ってる姿」を暖かく見守るスタンスで見て頂けたらと思います。
どうぞ宜しくお願い致します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?