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チェンソーマン、早川家についての長い感想


9巻発売直前で心臓が爆発しそうなのでちょっと書く、いつも通り駄文である

まず前提としてデンジはゴミ溜めに等しい場所で育ち、なくなっても生きてはいける内臓や目などあらゆるものを売り払い切り詰めて生きていた
そこでなんやかんやあって(一度死ぬなどして)マキマさんに拾われ、アキの家に転がり込んだ後
念願の「ジャムを塗ったパン(おそらく正確にはデンジが興味を持ったあらゆるジャム、甘味を塗りたくり、どこを噛んでも混濁したジャムの味がするパン)」を作り、朝食として食べることできた
まともな名前のついた食事自体ほとんど摂れなかったのに、早川家に居を構えてから安定して摂れるようになった
身体を洗うという行為にも少量の水かお湯しか使ったことがなさそうで「臭いから誰も近寄りたがらない」的な発言をしていたのに
大量のお湯に浸り髪と身体をしっかり洗うお風呂というものを知り、おそらくは「身綺麗」という概念も知った
(トイレで寝ていたのは早川家のトイレがアキの手によって常に綺麗で清潔に保たれていて居心地が良かったからではないかと思う)
あまりに常識に欠けた言動、行動が目立つデンジにアキは最初辟易していて、
どうしてこんな奴と寝食を共にしなければいけないのかとイライラしている様子だったが
半分冗談のつもりで言ったと思われる「義務教育受けてないのか?」にデンジが平然と「おーオレ受けてねえよ」と答えた後から
「常識のない同僚」という印象が「常識のないガキ」に変わり、同時に行動するなかで
間違いを指摘すればある程度了承する相手ということも察してか態度が軟化していく
のちに早川家に加わったパワーがたまにしか風呂に入らず、トイレもわりと流さないと判明したとき
デンジは「くせーんだよ!」と文句を言っており、パワー使用後のトイレをムカつきつつ磨いて、だいぶ常識を身につけているように見える
「これはおかしい、直せ」と指摘するには正しいといえる状態を知らなければならない

パワーは(本人は無意識だが)報酬として胸を揉ませることで
デンジが女性に対して抱いていた「胸を揉んでみたい」=「やらしいことをしたい」という原始的な欲求の矯正を果たしたように思える
もし一番最初に初対面に等しい人の胸を触って、嘘にも「気持ちいい」などと頬を染めて言われたら大きな勘違いが起きてもおかしくない
最初の実践で「こんなものか」とガッカリすることは意外と大切で
実際マキマさんから「こういうことは心の通わない相手としても意味がないんだよ」的な助言を受けて「誰でもいいわけではなくマキマさんとそういう関係になりたい」と方向転換をしている
(余談だがパワーの「ノーベル賞をとる」「大統領になる」「税金を高くすれば皆困る」は早川家のテレビ、ニュース番組から得た情報な気がする デンジの「永久機関の完成だぜ」もそういう番組を見て単語の響きが気に入って使っているイメージが湧く)

一般常識がまるでない二人を押し付けられ一方的に被害を被っているようにみえるアキにもきっと見返りはあった
家族を全て失い復讐以外の要素を全て省いて生きようと心掛けていたアキだが
自宅で同じ時を過ごす人間、言葉を交わす距離が近くならざるをえない人間ができたことは
安堵につながり、落ち着いて周囲を見て気遣う心の余裕が多少できたのではないだろうか
アキの認識下において「排除すべき化け物」でしかなかった悪魔ーー魔人のなかにも、打算を交えながらも協力的な個体がいると考えを改めたのは
できるなら自分と同じ立場かもしれなかった存在をなぶり殺しにしたくないと述べたデンジの影響を感じる

とかく悪魔が圧倒的な力を持ち、人間の命が羽根よりも軽い世界観のチェンソーマンにおいて
「早川家」として集められた三人が三人、ずっとシェルターめいたあの家に帰り続けられるとは思わないが
誰が欠けても三者三様がもたらした影響は計り知れないし、経験/体験/感動はたとえ相手が死んだからといって損なわれるような代物ではない
主人公だけに最後に残るのはデンジかもしれないが、心に早川家(概念家族)を抱いて強く生き抜いてほしい

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